コハダから考える太良とじぶん
[すし・sushi季節のおうち寿司海の生き物釣り・Fishing]
佐賀県藤津郡太良町竹崎。
古来より江戸前寿司の代表格とされてきたコハダ。
太良町(たらちょう)はそんなコハダ(コノシロ)の日本有数の水揚を誇っていますが、
そのほとんどが町外に集荷されることから、
地域を支えているコハダの素性は実のところあまり知られていません。
今回、地元の方々を対象に
太良、あるいは人間とコハダの関わりを、
頭(知識)だけでなく五感(体験)を使って学ぶことを通して、
太良町の将来や自分自身について考えてみるという講座を主催させていただきました。
そして、これだけ食材の宝庫なのに、この土地を代表するお寿司がない!?
それでは、新たな郷土寿司を作っていきましょう!
ということで、
2018年10月7日と11月11日の2回にわたって講座を開催してきました。
【主催】
岡田大介(株式会社酢飯屋 代表取締役)
加藤大貴(東京大学海洋アライアンス海洋教育促進研究センター 特任研究員)
一般社団法人 3710Lab(みなとラボ)
【協力】佐賀県太良町企画商工課・竹崎コハダ女子会・投網漁師会・畦五月先生
今回の会場はこちら、竹崎公民館です。
今回、この取り組みを一緒に主催してくださった
東京大学海洋アライアンス海洋教育促進研究センター 特任研究員の加藤大貴先生。
【コハダと人びとの関わりをテーマとする講演】
コハダと人びとは古来どのように関わってきたのか、
地域毎のコハダの利用などについて、
香川大学准教授の畦五月(うね・さつき)先生のお話。
・コノシロは魚の中で、最も下品で最も賤しい魚で民間の食
・味悪し、小骨多し、焼いた時の臭い悪しなどなど
『本朝食鑑(1687年)』・『古今料理集(推定1674年)』・『年中番菜録』などで
ひどい言われようだったこと。
忌み嫌われた理由は、
昔、長者の娘が有馬の皇子の子を宿してしまい、その時、
娘にはすでに常盤の国司という別の人との結婚が決まっていて
困り果てた長者がコノシロは焼くと死体を焼いた臭いと同じということを利用して
コノシロを棺桶に詰めて焼き、
『娘は死んでしまった』と火葬を見せかけて、常盤の国司に釈明したという。。。。。
コノシロは焼くととても良い匂いなのですが。。^^;
娘(こ)の身代わりにした魚ということで『子代(このしろ)』となった。
と『慈元抄』に記載が残っているようです。
他にも、『この城』を焼く=武家社会で縁起が悪いとも。。
4が付くと死(し)だからってやつと同じですね。。。
4月生まれの人、どうすんのさー。。ってやつですね。
ちなみに、僕の母親は4月22日に他界したので、
完全に(死にに)みたいに当時は感じましたが、
その日以外に亡くなる方もその他大勢いるわけですし。。
ただの言葉遊びというかなんというか。
まあ、そういうことまでも気にする時代だったという理解がいいですね。
そんなわけで、『塵塚談(1814年)』には『武士は決して食わざりしものなり』と記載されています。。
他にも、 腹が壊れやすいので切腹の時に最後に供された『切腹魚』。とか
散々な言われようのコノシロちゃんです。。
逆に吉兆の理由もありました。
太田道灌(室町時代後期)
江ノ島の弁天さんに参った時、コノシロが船に飛び込んだ。
九城(このしろ)を手にできる瑞兆!と喜ばれたそうです。。
『物類称呼』(1775年)では 子が次々と死ぬ家は、子が生まれた時に胎盤とコノシロを一緒に埋める。
や
『岡山県下妊娠出産育児に関する民族資料』には、
両親と生まれる子どもの厄により、『オヤヘイシ』、『コヘイシ』と呼ぶ。
お産で母子の命をとられる厄にあうので、それを避けるために『丙子落し』と称し、
コノシロを食べ、祈祷者にコノシロを持参して紙の衣を着せ、
水引をかけ、祭壇に祭り、祈祷後、夜中に
人に見られぬように土に埋める。と記されています。
民俗学的意味としては、コノシロで目に見えない悪霊を追い払う。厄払いの意味があると考えられます。
これだけ可哀想な扱いをされていたコノシロに転機がおとずれます。
江戸で人気となります。
多量の漁獲=安価
光物で美しい。
酢飯の味と合い美味。
火を使用しないので大火の心配が少ない商売
鮮度の良い魚の入手が可能になってきた。
衛生的な環境の整備もすすんできた。
蕎麦屋は十二町に一戸
鮓屋は十二町に十二戸
『魚鑑(1831年)』武井周作著
『細い刺多し。炙煮共によし。鱠となすも又佳。』
『こはだ鮓となす時は鯛とともに上撰に供す』
『守貞謾稿(1837年)』喜田川守貞著
江戸の町でコハダ鮓が流行(握りすし、わさび入り)
即席すしの登場
江戸時代の調理法として
コハダ大根
こはだ煮浸し
このしろ魚田(ぎょでん):味噌焼きのこと
岡山県彦崎遺跡から縄文前期時代のコノシロの骨が出土
【コハダの魅力と郷土寿司】
酢飯屋の岡田が進めてきた『郷土寿司プロジェクト』の活動の
主旨や目的、寿司職人から見たコハダの魅力、
寿司という料理の奥深さなどについてのお話。
島根県大田市 角寿司
山口県宇部市 ゆうれい寿司
秋田県 ハタハタ寿司
高知県 田舎寿司
高知県 きびなごのおから寿司
佐賀県 白石町 須古寿司
東京で美味しいと言われるコハダと
太良で食べるコハダの違いについて
コハダの魅力についてお話させていただきました。
次に、【コハダ漁業体験】です。
太良町内の投網漁師会ご協力のもと、実際のコハダ漁を体験していただきました。
漁師さんの奥様でもコハダ漁に出るのは初めて!という方も多く、
コハダという海の恵みがどのようにして私たちの手元に届くのか、体験を通して学びます。
ちなみに、ここ竹崎はワタリガニ(竹崎ガニ)も有名です。
コハダ漁のあとは、
【太良を表すコハダの郷土寿司を構想する(ワークショップ)】
あなたが考える『太良らしい』コハダの寿司とはどんなものですか?
ひとりひとりが込めた思いを交換し、
この講座でしかできない郷土寿司のイメージをみなさまで構想しました。
みなさまから出てくるキーワードをどんどん貼りだし、まとめていきます。
再現できないものを考えても仕方がありませんので、
再現性のある、太良らしいお寿司。
地元の食材がたくさんでてきます。
地元の良いところなどの意見がたくさんでてきます。
地元で大切にしたいものをどんどん上げていきます。
今回いただいた皆様のご意見を一度、僕のほうで持ち帰り
寿司化して、来月皆様に発表するお約束をし、酢飯屋に戻りました。
新しいお寿司を考えるということは、
全国各地のお寿司も知らなければいけないし、
歴史風土も把握しておかなければなりません。
様々な分野の学問が入り混じって、郷土寿司は出来上がってきたものだからです。
そういえば、
なぜマグロや白身魚など醤油漬けにするのに、
コハダの醤油漬けってないのでしょう?
コハダを生で食べる習慣がないからです。
コハダは塩をして、酢でしめて食べるもの、
要するに、もうそれ以上塩気がいらないものに
いつの間にか常識が固められていたから
コハダを生のまま醤油漬けするという発想にいたらなかったんですね。
もちろん、今日までの流通の進化も関係していると思います。
あるようでなかったお寿司も新しい郷土寿司になり得ます。
僕は、2種類の新郷土寿司を考えて翌月も太良に向かいました。
2018年11月11日
講座前、早朝から準備万端に。
ほぼ、支度は整い『竹崎コハダ女子会』の皆様とおしゃべりタイム。
コハダ女子会メンバーのお一人。
布に巻いたて持参したMy包丁がまったく不自然ではないのが素敵です。
コハダのウロコ取りと小出刃の顎の角度について、持論を熱弁中。
コハダをさばくのにオススメの包丁はこちらです!
アゴの部分が斜めなのがポイントです!
そうこうしている間に時間です。
【コハダから考える太良とじぶん】第2講座
はじまりました。
【コハダの郷土寿司を制作する】
第1講で構想した郷土寿司を、皆さんで制作します。
制作後は実際に食べることで、味覚からもコハダに親しみます。
前回参加された方々で
『コハダ × 食材 × 大切にしたいもの』を話し合い出て来たキーワードを参考にこの土地に必要なお寿司、
この土地に根付いて欲しい、この土地ならではの郷土寿司を考えてきましたのでこの日に発表させていただきました。
『新しいお寿司はいつでも誰かが生み出して良いもの』。
これが僕の考え方です。
あとは、それが必要とされるか、ずっと残るか?です。
第2講は座談だけではなく、調理実習もしましょう!
ということで
出来れば調理実習でも使いたい生のコハダ。
タイミングよくコハダ漁があることを願っておりました。
そして、
ありがたくもコハダの神様は僕たちに力をお貸しくださいました。
獲れたばかりのコハダが調理場まで届けられたのです。
僕が講義している間に、あっという間に下処理をしてくださった
竹崎コハダ女子会の皆様、本当にありがとうございました。
ここからは参加者の方々全員で、新郷土寿司完成に向けての仕込み開始です。
太良みかん(針茂果樹園さん)
生シバエビの剥き身
どちらも地元の特産物です。
茹でたシバエビ
太良の特産 みかんを絞って100%みかん果汁を。
太良漬けとはアカクラゲの塩漬けです。(海男さん)
アカクラゲも特産の一つです。
絶妙な塩加減に塩抜きをする作業です。
コリコリの食感なアカクラゲは真水で軽く塩抜きをして
水を切っておきます。
お米ももちろん、地元のお米。
今回の品種は『ゆめしずく』。
炊き上がったごはんに
みかん果汁を合わせていきます。
青いみかんが手に入れば、その酸っぱい果汁で行きたいところでしたが、
程よく甘みも出て来た時期のものでしたので、
200mlの果汁に対して米酢を50ml加えることで酸味を加えました。
お米5合に対して250mlの果汁で『みかん酢飯』を作ります。
まんべんなく果汁が行き渡ったら、冷まします。
次は鮮度抜群の獲れたてコハダの3枚おろしです。
みなさま興味をもってチャレンジしてくださいました。
子供さん達はコハダの皮目に飾り包丁も。
さて、ここからは寿司の握り方教室です。
ここ、佐賀県太良町の竹崎地区にお住まいの方々の家では
なんと!『生のコハダの握り寿司』が食べられているそうですよ!
と将来的にそうなることを願って、
みなさまに握り方教室をしました。
これだけのクオリティのコハダを始め、様々な食材があっても
それを握り寿司にしている方はほぼいらっしゃいませんでした。
それは他地域も同じです。
おうちで握り寿司が出来ると何故良いのか?をお話ししながら、
この場所ならやっぱり『生のコハダの握り寿司』が普通に食べられているのが理想的だなと思いながら。
まずは酢飯だけで握りの型の練習です。
世の中にあるようでない、『生のコハダの握り寿司』。
それはもはや、新郷土寿司です。
塩や酢で〆ていない生のコハダの感動は
この場所に来たら味わえるような、そんな流れのきっかけになりますように。
みなさま、あっという間にコハダの握りを作ってしまいました。
そして、もう一つの新郷土寿司を作って行きます。
みかん酢飯に細かく刻んだ生姜とアカクラゲはある程度ビロビロしたまま
混ぜます。
そして、これまたこの場所で水揚げされている『シバエビ』を茹でたものと
シバエビの塩辛(唐辛子醤油漬け)、刻み大葉に、
ボイルしたサルボウガイ、
こんなサイズ感です。
用途によって、酢漬けにしたり、甘辛く煮たり、オイル漬けにしたり。
バリエーション豊富食材です。
酢漬けしたコハダをたっぷりと盛り付けるのが、このお寿司の一番のポイントです。
輪切りにしたみかんを飾ったら、秋の太良でしか再現できないお寿司ができあがりました。
竹崎コハダ女子会の皆様と記念撮影。
手際よくチラシ寿司をお茶碗に盛り込んでくださる参加者の皆様。
さあ、いよいよお食事タイムです。
ご自身で握った生のコハダ寿司と新郷土寿司を実食。
食事のあとは、いよいよこの新しく生まれた郷土寿司に名前をつけるべく、
みなさまから様々な名前を出し合っていただきました。
【コハダから、太良とじぶんを考える(ディスカッション)】
この講座を通してコハダは自分にとってどのような存在となったのか、
そのコハダと関わってきた太良、
そこに生きる自分はどのような将来を描くことができるのか。
コハダに多くを学んだ講座を締めくくるためのディスカッション。
新郷土寿司につける名前の意見出しです。
改めて『コハダから考える太良とじぶん』
東京大学海洋アライアンス 海洋教育促進研究センター 加藤大貴先生
いよいよ多数決の結果がでました。
佐賀に新郷土寿司が2つ誕生しました!!
こちらが2018年11月11日に
佐賀県に誕生した新郷土寿司の一つ
【竹崎コハダずし(たけざきこはだずし)】
※生のコハダの握り寿司です。
そしてもう一つ、2018年11月11日に
佐賀県に誕生した新郷土寿司【太良四季彩ずし(たらしきさいずし)】(秋バージョン)です。
季節ごとに中身が変化するこのお寿司は、
通年獲れるコハダが入ることを基本とし、
それ以外はその時期にとれる様々な食材で彩られる、とても柔軟な定義の郷土寿司です。
このお寿司が、地元の方々によってちょこちょこ作られていくこと、
永く引き継がれることを願っております。
続けば文化、終われば終わりです。
【春秋航空機内誌】にコハダプロジェクトをご紹介していただきました。
後日、おうちで握り寿司を作ったとコハダ女子会の皆様の握り寿司写真が送られてきました!
家庭で作られていくことがまず第一歩。
それがいつからか、食べられるお店ができたり、機会が出来てきて
それを毎年繰り返していくときっとこの2つの郷土寿司は
この地域の郷土寿司として根付いていくと思うのです。
【海洋教育(かいようきょういく)】
この言葉に何の違和感も感じずることなく、自分の時間を多く注ぎ込めるのは
自分の人生そのものが海にまつわるものばかりで出来ているからかもしれません。
月に何度も海に行く機会を自ら作ることで、
さらに海を知りたくなって、海を大切にしたくなります。
海が身近にある人ほど、もっと海について知ることで
なんと、自分自身が見えてきてしまうという。
昨年の報告書が完成しました。
【3710Lab(みなとらぼ)× 酢飯屋】
寿司はもはや、保存食で、ただ美味しい食べ物なだけでなく
地球にとても影響のある食べ物になっています。
こちらにてご報告させていただきます。