酒ずし
お酢の代わりにお酒で漬け込むという、ちょっと変わり種の郷土寿司「酒ずし」があると聞いて、鹿児島にやって来ました。この酒ずしはお酢を一切使わず、お酒の力で発酵させるというもの。お酢を使わない寿司なんて、聞いたことがない。本当にあるのでしょうかね? もっとも、酒豪が多い九州、しかも芋焼酎のメッカ、薩摩ですから、お酢の代わりにお酒を使うなんてこともあり得ない話ではありません。まずは、この目と舌で確かめるしかありません。
鹿児島というと、このところ桜島の噴火が心配されていましたが、訪ねたときには穏やかな表情を見せてくれました。市内のちょっとした高台に登れば、すぐに雄大な姿が望める。鹿児島の人にとっては特別な存在なんでしょうね。桜島を眺めながら、ふと未来の寿司を思ったり。ちなみに、僕の店「酢飯屋」で出しているヒジキは桜島産です。
「祖母、そして母親からつくり方を教わってきました」。こう話すのが今回の郷土寿司の先生である東酒造三代目社長の福元万喜子さん。高砂の峰の醸造元として、その酒ずしをしっかり残していく責務も負っているようで、「自称、酒ずし保存会」とのことです。
酒ずしの歴史は古く、薩摩藩を治めた島津家までさかのぼる。どうやら武家の間で生まれたようです。当時、大ぴらにお酒が飲めなかった女性たちがこっそりごはんにお酒を入れたとか、宴会の残り物をひとつにまとめておいといたら美味い寿司になったとか、諸説あるようです。
ただ、海の幸、山の幸と具だくさん。つくるのが大変なようで、地元でも「名前は聞いたことがあるが、実際に食べたことがない」と答える人が結構いました。実際のつくり方を知らない人も多そう。市内のお店でも食べられるところがあるそうですが、仕込んでから5時間ぐらい漬け込まないといけないので、事前の予約が必要とのこと。福元さんの家では代々、タケノコが出てくる春につくるのが習わしになっているとのこと。どちらかというと、特別な席で食べることが多く、「春を感じるお寿司なんです」。
随筆家の白洲正子さんは父親が薩摩志士だった関係で、エッセイで毎年、酒ずしをつくることに触れているそうです。その縁で、今年創業100周年を迎えた東酒造さんでは6月に、東京・町田にある旧白洲邸武相荘で「酒ずしを食べる会」というのを催しました。鹿児島でもイベントを開いたり、東酒造内のキッチンで料理教室を開いたりと、積極的な普及活動を福元さんはされている。さすが、「自称、保存会」です。
で、さっそくつくることに。テーブルの上には具材がずらり。これが凄いです。まず海の幸ではタイ、イカ、それに鹿児島の近海で獲れるタカエビ。このエビは東京ではあまり見たことがない。すぐに頭部分が黒くなってしまうのであまり全国には出回っていないそう。ちょうど甘エビを大きくしたような感じです。それにサヨリなどの銀の魚。「酒ずしは色合いも大切にするので、そうした観点から選んでいます」。
一方、山の幸はタケノコに干し大根、干しシイタケ、つわぶき、それに三つ葉。具材ごとに下茹でし味付けしていきます。その際に、常に使われているのが高砂の峰です。灰持酒は大活躍です。
具材はまだ続きます。ご当地のさつま揚げ。棒天という、丸い棒状のタイプに、紅かまぼこ、そしてこがやきという卵が入ったかまぼこのようなものも、それに錦糸卵。このあたりも色合いを意識していますね。これらをすべて短冊に切っていきます。下準備が結構大変です。福元さんと手分けをしながら進めることに。僕は主に魚をさばき、福元さんには具材切りをお任せしました。ふと、手元を見ると錦糸卵を菱形にしている。「千切りにしてしまうと、惣菜感がでてしまう。酒ずしはちょっと特別なものなので、あえて特別感がでるような演出も必要です」。
「これは祖母から習った、あくまでも東家のレシピです。でも、毎回つくる度に具材の種類も、つくり手順も違ってしまうんです(笑)」。福元さんは「発展的な寿司」と笑います。郷土寿司は各家庭でつくり方が違うことが多く、すごく厳密でないおおらかなところが共通点と言えます。
下準備が終わると、いよいよ酒ずしの仕込みです。飯台にごはんを広げてよく冷ましておきます。冷ましておかないと、お酒で漬け込んだときに発酵が早く進んでしまうとのこと。隣には、琉球塗りという漆を施した寿司桶。内側は真っ赤で、ここに白いごはんを入れていく。用意した具材にも適度な赤があり、器と寿司の色の共演。薩摩の美意識は凄いです。
桶にはぱらぱら程度に塩をふっておきます。桶がない場合は大きめなタッパでもいいそうです。
高砂の峰に塩を混ぜて、飯台のごはんに掛けます。もう、どぼどぼという感じです。あっという間に、ごはんはお酒のおじや状態。ごはん粒は次第にふやけ、お酒によって発酵し始めると平たくなっていくのだそうです。これを薩摩藩の家紋のように十字の四等分にわけ、1/4のごはんを皿ですくいながら、桶に敷き込みます。酒ずしは押しずし系なので、ごはんを平らに、強めに押す必要があります。手についたごはんは、残しておいた高砂の峰で洗う。お酒以外は一滴も水気を入れない徹底さです。
まず最初に、山の幸の具材をまんべんなく散らし、その上にまたごはんを敷き詰め、今度はさつま揚げやかまぼこ類。そして、さらにごはんを敷き、最後に三つ葉を散らし海の幸。そして菱形の錦糸卵と山椒の葉でトッピング。酒ずしが完成しました。すごく美味しそう。あっ、でもまだ、完成ではありません。
この上に具がつかないようにハランをのせ、ふたをして上からぎゅっと押す。するとお酒が下からしみ出てきます。ふたの上にまな板を置き、その上に重しの石。ここでのコツはいきなり重たくしてしまうとしみ出たお酒がこぼれてしまう。ごはんがお酒を吸って下がっていくのを見計らいながら、徐々に重しを重くしていくことです。「そのまま放っておくとまずくなる。ときどき見守ってあげることが大切です」。こうして5-6時間待つのです。待ち遠しいけど、いったいどんなお寿司が出来上がるのか、想像しただけで幸せな気分になります。
(撮影:遠藤宏)