郷土寿司プロジェクト

松山鮓(まつやまずし)・もぶり鮓

[愛媛県松山市]

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祝い事や訪問客をもてなす料理として古くから松山に伝わる郷土料理
それが『松山鮓(まつやまずし)』です。
瀬戸内海の幸がふんだんに散りばめられたこの鮓は、
正岡子規(まさおかしき)や夏目漱石(なつめそうせき)も好んで食したと言われています。
地元の人にも観光客にも愛されている松山鮓をご紹介します。


愛媛県松山には、昔から祝い事や訪問客をもてなす際に『ばら寿司』をつける慣わしがありました。
それぞれの地域でとれたものを使った、その土地ならではの寿司。
特に瀬戸の小魚を散りばめたものは、最高のおもてなしだったそうです。
松山鮓の大きな特徴は、エソやトラハゼなど、瀬戸内で獲れた小魚でダシをとった甘めの合わせ酢を用いることです。
これで酢飯を作り、その中に刻んだアナゴや季節の野菜をもぶす(混ぜ込む)ことから、
『もぶり鮓』とも呼ばれています。

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錦糸卵をちらし、最後に旬の瀬戸の魚介を盛り付けたら完成ですが、
盛り付ける魚にも一つ特徴があります。
それは、焼いたり、酢で締めたりと、ひと手間を加えていることです。
冷蔵庫がなかった時代、魚を保存するために行われていた先人の知恵です。
『松山鮓が郷土料理として認識されるようになったのは戦後のこと。
それまでは、ごく一般の家庭料理として、どのお宅でも作られていました。』
そう話すのは、学校法人愛媛学園の学園長を務める渡邊笙子(わたなべしょうこ)先生。
愛媛調理製菓専門学校の代表として、松山鮓の普及に尽力された方です。

松山市内中心部にある中の川は、かつて物流の拠点として多くの貨物船が行き交っていました。
三津浜(みつはま)で獲れた魚は船で市内中心部へ。
こうして瀬戸の小魚は、松山市民の食卓へと届けられていました。
祝い事や祭り事、また帰省する家族を迎えるご馳走として、母がつける松山鮓。
『私が子供の頃などは、近所でお酢の香りが漂うと、『あのお宅、息子さんが帰ってきているのかしら』なんて話を
母たちがしていましたね。おすそ分けをしあう風習もありました。』と当時を懐かしむ渡邊先生は現在、
まつやま郷土料理研究会の会長として、郷土の味を若い世代に伝える活動を展開されています。
松山鮓をはじめ、鯛めしやたこ飯など、松山で代々受け継がれている家庭料理のレシピを提案しています。

松山鮓は、かの正岡子規(まさおかしき)もこよなく愛したという逸話が残されています。
同じく松山出身で、子規の一番弟子ともいわれた高浜虚子(たかはまきょし)は、
自身の著書『漱石氏と私』で次のように記しています。

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漱石氏は洋服の膝を正しく折って静座して、
松山鮓の皿を取上げて一粒もこぼさぬ様に
行儀正しくそれを食べるのであった。
さうして子規居士はと見ると、和服姿にあぐらをかいて
ぞんざいな様子で箸をとるのであった。
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これは、学生時代に東京から子規の家を訪れた夏目漱石をもてなすため、
自宅で母(八重)の松山鮓をふるまったという有名な話です。
漱石は大いに喜んで、一粒もこぼさず食べたという。
明治25年8月の夏休み、まだ中学生だった虚子が大学予備門の学生だった漱石が初めて松山を訪れ際に初めて会った日のこと。
このエピソードからも、松山出身である子規にとって松山鮓が特別な食べ物であることがわかります。
彼は学生時代の明治16年より東京で暮らしていましたが、
毎年のように夏休みには帰省し、松山鮓を好んで食したそうです。
『子規は近代文学者のなかでもとりわけ郷土愛が強く、松山藩の武士の生まれであることを誇りに思っていたようです。
その深い郷土愛を詠んだ俳句も多く残されています。』と話すのは、
松山市立子規記念博物館の学芸員を務める平岡瑛二(ひらおかえいじ)さん。
松山鮓を詠んだ3つの俳句を教えてくださいました。

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ふるさとや 親すこやかに 鮓の味(明治28年)

われ愛す わが豫州 松山の鮓(明治29年)

われに法 あり君をもてなす もぶり鮓(明治29年)
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どれも、子規が松山鮓を故郷の味として愛していたことが伝わる句です。
『子規は郷土愛とともに食への興味がとても旺盛な人でしたから、そんな人間味のある人柄が多くの方々に伝わったらうれしいです。』
と平岡さん。

明治28年の春、松山中学校の教師として夏目漱石が再び松山を訪れた際、先ず所望したのが松山鮓だったそうで
漱石にとってもお気に入りの松山料理であったことが想像できます。
このときの経験が後年、小説『坊っちゃん』のモデルとなる訳です。
ちなみに、虚子と並び称される河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)も松山鮓を好んで食べていたことが
自書『三千里』の中で記されています。

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子規をはじめ広く松山人に親しまれてきた松山鮓ですが、
時代の流れとともに『すしをつける』という食文化自体が薄れていき、
人々の記憶から遠ざかっていきました。
そんな故郷の味が再び脚光を浴びたのは平成18年。
松山市水産市場運営協議会が中心となり、松山鮓を復活させました。
それは、水産市場開場25周年と、夏目漱石の小説『坊っちゃん』の発表100周年が重なる絶好の機会でした。
魚食文化の普及と市場活性化をめざした取り組みの目玉として、松山鮓に注目。
各家庭で具材や味にばらつきのある郷土の味を、三津浜婦人会や、愛媛調理製菓専門学校などの協力を得て調整し、レシピを再現しました。
松山水産市場・市場活性化委員会の委員長で、復活に向けての取り組みにも携わった水口裕司さんは、
『松山鮓を知らない、食べたことがないという若い世代が多かったため、親子で参加出来る松山鮓教室を開くなど、
郷土料理を伝承していくことには力を入れました!』と当時を振り返ります。
また、ハレの日につくる家庭料理を郷土料理として広くPRするため、
松山市内の料理店やスーパーなどの小売店でも提供できないかと思案。

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そこで真っ先に声がかかったのが二番町にある老舗『日本料理 すし丸』さんでした。
『松山鮓は私たち松山人にとって馴染みの味。砂糖が貴重だった時代、甘いものはご馳走でしたから、
そんな当時をイメージした甘めのシャリを再現しました。』と、本店の堀田智久料理長。
本格的な松山鮓は、今や、すし丸を代表する料理の一つとして知られているそうです。

さらに、正岡子規没後110年にあたる平成23年を機に、
『一嘗三嘆(いっしょうさんたん)子規が愛した瀬戸の鯛料理』として明治時代によく食べられていたという鯛料理を復活させ、
そのなかに、ヅケ鯛盛りの松山鮓も含まれています。
『一嘗三嘆(いっしょうさんたん)』は、子規による造語で、優れた詩文をほめる一唱三嘆(いっしょうさんたん)をもじり、
『一口食べると、何度も感動するほどおいしい』という意味で子規が友人・清水則遠(のりとお)に宛てた書簡のなかで、
故郷松山の鯛料理を紹介する際に用いた言葉です。
瀬戸の小魚を使った松山鮓を通して、魚食文化の普及を・・・。
その想いは現在も続いていて、料理教室などの事業を継続、松山市公設水産地方卸売市場公式ホームページやフェイスブックなどで
松山鮓の普及・啓発活動を行なっています。
『明治から令和に時代は変わっても、瀬戸内のお魚の美味しさは変わりありません。
我々が自信をもってお届けするお魚を使い、ぜひご家族で松山鮓づくりにチャレンジしてみてください。』と水口さん。
親から子へ、受け継がれてきた故郷の味。
ぜひ松山に行ったら、食べてみてください。

【松山鮓の基本レシピ】
〈材料〉
米 3合
酢 80cc
砂糖 80cc
塩 小さじ2
エソ、トラハゼなどの瀬戸の小魚1〜2匹(チリメンジャコやアナゴの骨でも可)
アナゴ(中ぐらいの大きさ)を半匹
ニンジン、ゴボウなどの季節野菜
〈盛り付け〉
錦糸卵 50g
焼きアナゴ
青物酢締め(サバ・サワラなど)
刺身
タコ
地エビなど

1.かために米を炊く(米:水=1:1)
2.合わせ酢を作る
エソ、トラハゼなどを素焼きし、細かく身をほぐす(チリメンジャコを使用する場合は、適量をそのままで可)
骨を別で軽くあぶっておく
酢、砂糖、塩を合わせ、加熱する
沸騰する前の酢に、エソ、トラハゼなどの身、あぶった骨を入れ、ひと煮立ちさせる
(エソやトラハゼの骨や、アナゴの骨を使用する場合は、ひと煮立ち後に取り除く)
そうすることにより、旨みが深まります。
3.炊き上がった米と酢をうちわなどであおぎながら、切るように合わせる
4.別に味付けした刻みアナゴと細切りの季節野菜を酢飯に混ぜ込む
5.器によそった酢飯の上に錦糸卵をちらす
6.焼きアナゴ、酢締めした青魚(サバ・サワラなど)、刺身などの魚介類と
季節野菜などを彩りよく盛り付けて、でき上がり


【日本料理 すし丸 本店】
昭和23年に開業した『すし丸』さんは、寿司から郷土料理まで幅広い美味が味わえるお店です。

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松山市水産市場運営協議会が仕掛け役となった松山鮓復活にいち早く応え、
日本料理店ならではのこだわりが光る松山鮓を提案しています。
鯛の骨からとったダシと合わせた甘めの酢、さらに炊いたタケノコやにんじんを加え、
ほんのりと甘く仕上げた酢飯が松山人好みだそうです。
その上に酢で締めたり、煮たりとひと手間加えた穴子や鯛、タコ、エビなどの瀬戸内の素材を美しく盛り付けています。
ハレの日に作る家庭料理を郷土料理に昇華させた一品は、今や松山の名物になっています。
冬季限定ですが、カニ、アナゴ、タイなどの温かいお寿司
『ぬく寿司』もいただくことができます。