千年鮭 きっかわ
[記録]
江戸時代(寛永3年)創業
平成30年で創業392年。
もともとは造り酒屋さんだったきっかわさんは
戦後、廃れかけた鮭料理を復活させるべく、
村上で初めて鮭料理を商品化し、
以来ずっと村上の食文化を守り続けてきています。
鮭を粗末にしてはいけない。
この地域の皆さんが、その考え方に変わり、
発酵、熟成させたり、全ての部位を使ったり、様々な味付けをしたり。
これだけの種類の鮭料理が生まれてきたのだと思います。
無くなってから気づくもの。
世の中はそんなものばかりですね。
僕が最初に訪れたのは15年ほど前、年も20代半ばの頃でした。
その当時は『味匠(みしょう)きっかわ』という屋号でしたが
現在は『千年鮭きっかわ』に変わっています。
【千年鮭(せんねんざけ)とは】
平安時代、京の都に鮭(5品目)を租税として納めていたという記録が残る、新潟県村上市。村上の人々にとって鮭は千年の昔から特別な魚でした。
鮭を慈しみ、鮭と共に生き、鮭を頂く。
言葉だけではなく、村上に行くと実際に肌で感じれるほどの鮭愛。
その想いから、風土を活かした独特な製法と百種類以上の鮭料理が今に伝えられてきています。
風に晒し、醸すのを待ち、一尾を活かしきる。
先人の方々から引き継いだ知恵に更なる創意工夫を加え、
すべて手作り、すべて無添加、
千年の想いを込めた鮭のさまざまな至高の味わいは
きっかわさんに全て詰まっています。
ちなみに、租税として納められていた5品目は以下です。
【氷頭(ひず)】・・・鮭の頭の軟骨
【めふん】・・・鮭の腎臓の塩辛(3大塩辛珍味の一つ)秋に獲れたオスの鮭の背腸(せわた)=腎臓。
内臓(なわた)を取り除いたその奥に、背骨の手前に張り付くようにして幕に覆われている部分です。粗塩をまぶして二夏越して臭みは消え、アミノ酸発酵が美味しい珍味です。
【鮭鮨(さけき)】・・・鮭の身と塩と糀を合わせて、2年間、かめの中で発酵させた、塩辛と熟れずしの間のようなもの
【鮭内子并子(さけうちこへいこ)】・・・鮭の腹を割いて卵や内臓を取り出した後、卵や白子を腹に戻し、濃い塩水につけて干したもの
【楚割鮭(そわりざけ)】・・・鮭を薄切りにして乾燥させたもの
この風景、みなさまも一度はテレビや雑誌など、どこかで見たことがあるのではないでしょうか?
鮭料理の横綱『鮭の塩引き』です。
きっかわさんには全体でおよそ2000尾を吊るせるキャパがあります。
この贅沢な光景は一年中見学できるようになっています。しかも無料です。
ちなみに今下がっているのは1年もの。
秋に3万尾ほどの鮭が遡上し、その半分近くを捕獲。
(ちなみに2011年の東日本大震災の年も3万尾は戻ってきたそうです。)
秋の終わりに塩引き鮭を仕込んで
1月、2月、3月と乾燥させて
4月、5月、6月と春の気温で熟成させて
梅雨半ばに湿度を80%越えると鮭が濡れてくるそうです。
それを7月7日に切って食べる。
毎年7月7日に行われる夏祭り『村上大祭』、その時のお祭料理を飾るその家の自慢の鮭料理がこの1年ものの『鮭の酒びたし』です。
夏はさらに熟成し、
秋湿り、10月に完熟を迎えるという1年のサイクル。
節目節目に村上では鮭料理でお祝いする風習が今も残っています。
村上の塩引きは、なぜこんなに美味しいのか?
鮭の塩引はまさに村上の気候風土の中で時間をかけ、
熟成により生まれる独自の味わいを持つ鮭だからです。
新潟県内の他の場所や、日本のどこか他の地域で同じように仕込んでも
同じ味にはならないことがわかっています。
地図を見て、山、海の地形を見ていると
村上にしか通らない特別な風の通り道が浮かび上がってきます。
大きなポイントはその風だそうです。
1尾1尾に合掌し、まさに丹精を込めて粗塩を鮭に引いていきます。
4,5日漬け、マイナスイオンたっぷりの北西の冷たい風にあて、3,4週間ほどじっくりと干します。
この風を受け、鮭がアミノ酸発酵により熟成し、
他の鮭では味わえない独特の旨味が生まれます。
終日、風が通り抜けます。
北西の風に含まれるマイナスイオンにさらにマイナスイオンを加えるため先代会長によって、床下にはトルマリンが敷き詰められていました。
大晦日は多くの地域で蕎麦を食べ、手軽に食事を済ませて、お正月は手間をかけて作ったおせちをいただく。という傾向にありますが、
村上の場合、大晦日の晩にも手間をかけた鮭料理、お正月も手間をかけたおせち。このような文化があるようです。
鮭を食べる際、家族だとしても
その部位は人によって分けられています。
特に『壱のヒレ』は特別な部位です。
サケが川のなかで一生の最後を迎える時、
死ぬ直前まで動かし続けている場所がこの『壱のヒレ』になります。
最後まで家族を守り続けてくださいと、
この部位は一家の大黒柱である主、ご先祖様、恵比寿様が食す部分となります。
奥様に食べさせると強くなるので絶対に食べさせてはいけない部位だとか。
娘が食べると嫁に行けなくなるぞ!とも言われています。
日本だけでなく、サケは世界中で水揚げされる魚ではあります。
ただ、鮭料理を100種類以上、それも全てのパーツを無駄なく食べる文化がある地域は他にあるでしょうか?
身と卵だけ食べて終わりではなく、内臓、骨、ウロコ、エラ、全てです。
村上では一世帯あたり年間28尾の鮭が食べられているという統計も出ています。
資源があるからと言って傲慢にならず、その資源の全てを大切にする心。
鮭に対する想いの深さを感じます。
ちなみに100種類というのは、それでけ『多い』という表現であって
実際には100種どころか、アレンジ次第で無数に存在します。
本当にフードロスの無い魚です。
木と神様たっぷりの空間。
やはり落ち着きます。
ピッカピカに磨き上げられた、あがりかまち。
茶の間
囲炉裏
左奥に見えるお部屋は大切なお客様をお通しする応接間。
今回ご案内いただきまして光栄です。
村上で鮭は『イヨボヤ』と呼ばれています。
イヨは鮭のこと、ボヤは最高の魚へ付けられる敬称です。
または、
イヨは魚(ウオ)の転訛した古語であることが平安時代の『和名抄』という辞書に説明されています。ボヤも魚で『魚の中の魚』とも言われています。
どちらにしても格の高い魚ということになります。
生粋の村上生まれで村上育ちの人たちは、サケのことをサケやシャケとは決して呼びません。イヨ、イヨボヤ、ヨー、ヨーボヤなどと呼んでいます。
ある事がら(村上の場合はサケ)について、
その土地だけで通ずる言葉が多くあることは、その事がらと人々の生活との関わりが深く、独自の文化が根付き伝承されてきた何よりの証拠です。
村上ではサケにかかわる数多くの独特の言葉が今も使われています。
【サケ言葉】という鮭専用の言葉が存在します。
・イヨ・・・サケ
・イヨボヤ・・・サケ
・ヨー・・・サケ
・ヨーボヤ・・・サケ
・カナ・・・サケのオス
・メナ・・・サケのメス
・ナワタ・・・サケの内臓(他の魚ではハラワタ)
・カゲ・・・サケのえら
・ドンビコ・・・サケの心臓
・セワタ・・・サケの腎臓
・ナジ・・・サケのぬめり
・ハラコ・・・サケの卵
・ハツナ・・・その年初めてとれたサケ
・オサライ・・・地曳き網でサケをさらいとること
きっかわさんの建物の中央にある坪庭です。
風通しだけでなく、気の流れも良いこの空間の中で
とても良い位置に日が差し込むようになっています。
存在感のある現役の木桶があちこちにあります。
今回は特別に2階のお部屋にご案内いただきました。
このお部屋できっかわ社長から、
村上のこと、歴史、きっかわの今昔、サケのこと、昨年亡くなられたお父様のことなど、大変貴重なお話をたくさんいただきました。
子どもの健やかな成長を願う行事として『七五三』がありますが
これに相当する行事として、村上には『袴着(はかまぎ)』と呼ばれる儀式があります。袴着は、男の子が五歳になると羽織袴の正装を着衣する儀式です。
『七五三』と同様に、両親に伴われて鎮守の神様に参詣して、これまでの感謝と同時にこれからの健やかな成長を祈願します。
この儀式の後の祝宴のお膳を飾るのがサケです。
タイがおめでたい魚でも、ブリが出世魚であっても、村上での袴着は三面川でとれたサケでなければならないのです。
袴着を控えている家庭では、どんなに高値であっても、三面川に戻る立派なサケを求めて手配を怠りません。
そこにはサケの稚魚は三面川で生まれ、はるばる北太平洋を回遊して数万キロの旅を終え、母なるふるさとの川に回帰するサケのたくましさにあやかり『我が子も健やかに成長し、世間の荒波に負けることなくたくましく人生を乗り切ってほしい』という村上人としての親の願いが込められています。
現社長のきっかわさんもまさにこれと同様に、村上からはるばる外に出て、荒波を乗り越えて、27歳で村上に戻って、村上のためにこの鮭文化の継承とまちづくりに全精力を注ぎ込まれています。
お父様が亡くなられて、葬儀とは別にお別れ会をした際、
多くの方々にもお披露目されたというスライドを
大きなスクリーンに投影して見せてくださいました。
その内容と言ったらもう。。
気がつくと僕は涙を流していました。
これまでの大変な道のりと先代さんの偉大さ。
それを引き継ぐだけでなく、さらに村上の発展のために命をかけている現代表のきっかわさんご夫婦。
世界を見渡しても、100年企業の4割は日本。
しかも家族経営ばかり。
永く続く企業には、地域からの応援も絶対に必要です。
きっかわさんはその見本のような企業です。
自分たちのお店のことだけを考えて商売をせず、
この地域全体のことを本気で考えておられることが十分に理解できました。
戦後、村上の鮭料理は田舎くさいとか、時代遅れとかいう潮流もあり、
サケの文化が廃れ始めた時があったそうです。
このままだと村上の鮭文化はなくなってします。
その時に誰よりも早くその危機を感じた先代の吉川哲鮏(きっかわてっしょう)さん。
※魚偏に生まれると書いて『鮏(サケ)旧字』。
元々は造り酒屋さんだったきっかわを大きく方向転換。
鮭加工会社にされたそうです。
まちづくりのことや村上は鮭文化の地域だ!
などと言うことを誰も考えていなかった時代から
未来を見据えての大決断です。
この決断がなければきっと、今の村上に鮭文化は残っていなかったかもしれません。
現社長と会長のこんなエピソードも聞かせていただきました。
寒すぎる職場にしびれを切らした現社長が一言。
『こんなに寒いなら戸を閉めて仕事をしてもいいか?』と伝えると
会長はこう言ったそうです。
『寒いなら服を重ねて着ろ!この家で一番偉いのは鮭だ!!』と。
自分や身内に厳しい反面、鮭には優しく接したいたことも次のことからうかがえます。会長がお亡くなりになる少し前、ヨボヨボになってしまった体にもかかわらず、メスザケを見るやいなや、『よー帰ってきたね。』と鮭に手を合わせたと言います。
本当に鮭に感謝をし続けて生き抜いたことがわかります。
鮭だけではありません。
風の神様、水の神様、火の神様、菌の神様、龍神様、包丁の神様、調理の神様、酒の神様、蔵の神様などなど
お世話になっているものに対しての神様約15社へのご挨拶周りもされていたようです。
ある神社で、お賽銭をされた方が小銭をお賽銭箱に入れると、チャリンという音がせず、ボトンと鈍い音がしたと言います。
それに気がついた宮司さんがお賽銭箱を開けて見ると、
何と、感謝を込めた手紙と紙のお金が入っていたそうです。
各地の神社でも有名な会長さん。
週一回、月曜日の会社の朝礼が従業員さんたちの楽しみでもあったようです。
素朴な地元のお話から宇宙の話まで、幅もジャンルも飛び越えたお話だったようで、是非聞いてみたかったです。
写真左:吉川哲鮏(きっかわてっしょう)さん(故)
写真右:吉永小百合(よしながさゆり)さん
社長が夕食を作ってご馳走してくださるということで、
僕は二階のこのお部屋で1時間ほど、今日学んだことを整理していました。
頭の中は、サケのこと、きっかわさんのこと、村上のことでぐるぐるぐるぐる。
そうしているうちに、
『岡田さん、そろそろご飯にしましょう。』と奥様の美貴さんがお迎えに来てくださいました。
急勾配の階段をそろりと降りていくと香ばしい香りが漂っていました。
囲炉裏に炭がくべられて
串に刺した鮭の身と心臓が炭火焼きにされているではないですか!!!
なにやら、竃(かまど)の薪にも火をつけています。
なんだろ、なんだろ。
お赤飯!!!!!
『岡田さんが来てくれた記念のお祝いのお赤飯ですよ!』
ええええええええ!!
お、お祝いですか!?
僕は、鮭料理や歴史を学びに来させていただいた側の人間なのですけど。。。
いい感じに火が入ってきています。
『岡田さん、その鮭は今日は食べませんからね。』
ええええええええ!!!!
この焼きたての美味しそうな鮭、食べないんですか。。
なんですか、ただの演出ですか!??
何度も唾液を飲み込みながら、囲炉裏の炭を眺めていると、
いきなりでてきたのが、鮭の白子の刺身!
今朝おろしたあの大きな鮭の白子、しかも生ですか。
うはぁー、とろけながら舌全体にまとわりついてくる濃厚な旨味。
口を閉じた状態で
口の中で、舌を上アゴの内側にこすりつけたり
舌を引っ込めて、臼歯のあたりをレロレロしてみたり。
一切れでここまでのインパクトを与えてくる食材ってそんなにないぞ。
感動に浸っている間も無く、どんびこ(心臓)の炭火焼きが焼けてきました。
串に刺したままかぶりついて、スーーッと串を抜いて食べさせるようなことは
いたしません。それが町家の流儀。
ちなみに、どんびこの塩焼きは子供の頃はおやつだったそうです。。
きっかわ社長と奥様の美貴さんが共同作業で鮭を串から抜いていきます。
皮目がパリパリに焼けたこの鮭、
今日は食べられないこの鮭。。。。。。。
これ、何をしているんですか?
『鮭の焼漬』です。
やきづけ。
これは村上の各家庭で最も多く作られ、愛されてきた鮭料理の一つだそうです。 コロ切りにした鮭を焼き上げて、熱いうちに、冷やしておいた秘伝のかえし醤油にジュッと漬け込み、一晩ねかせます。
鮭にかえし醤油が浸み込み、翌日は最高に美味しい鮭の焼漬となるそうです。
『あの、明日もきっかわさんに来させていただいてもよろしいですか?^^;』
落し蓋をして、また明日。
そして、次に出てきたのが、塩も醤油も何も味付けしていな状態の生のハラコ(いくら)です。まずはそのまま一口。
むふぁあ、口の中で多くの生命が誕生して、プチっと自分の体の一部になっていくような。もうたま卵(らん)!!
はい。
次にきっかわ社長が持ってきたのは
骨つき(原木)のイタリアのプロシュート?
スペインのハモンセラーノ?
いやいや、
新潟県村上の鮭の生ハム(原木)!!!!!
その場でCutting!
こんな美味しい『鮭の生ハム』、食べたことがない!!
生ですよ。
陰干しにして一度発酵した鮭を、更に独自の製法により
低温でじっくりと熟成させて、味をまろやかに仕上げてあります。
スモークサーモンのように燻製により凝縮された旨味ではなく
鮭そのものが凝縮してここまで美味しくなるんですか!!??
茶碗に日本酒を注ぎ、
炊飯中のお赤飯に『湿を打つ(しとをうつ)』きっかわ社長。
仕上がりが全く違ってくるそうです。
これはなんですか!???
これは、村上の鮭を存分に味わえるようにと
新しく考えた『村上鮭なべ』です!
今朝捌いたばかりの鮭の白子に心臓、胃袋に肝臓、たっぷり野菜に塩引き鮭や鮭のつみれまで入ってます!味付けは醤油やみりんベースの味わい。
村上らしい、鮭の最強鍋ですね!
お鍋に豪快に入れていくきっかわ社長。
じっと座っていられなくて、あれも聞きたいこれも聞きたい僕ちん。
そしていよいよお赤飯が蒸しあがりました!
写真の右の飯沼さんは、僕が初めてきっかわさんに来た時に入社したばかりだった方で、今ではきっかわさんで大活躍されています。
あっつあつのお赤飯が登場です。
最高のおもてなしに感謝しかありません。
奥様の美貴さまによそっていただくとまたさらに付加価値が!!
蒸し加減、お米の立ち具合、歯ざわり、最高のお赤飯でした。
村上の新郷土料理『村上鮭なべ』もグツグツしてきました。
ついつい、置きたくなってしまいがちな囲炉裏の角への杯。
村上では、囲炉裏の四隅には絶対に杯は置いてはいけません。
それは、お別れの儀式の際にすることだそうです。
この写真には胸キュンポイントが隠されています。
熱いお鍋から奥様が様々な具材を取り分けて下さっている最中、
あれを入れろ、これを入れろと強めの口調で指示している社長に見えますが、
きっかわ社長の右手にご注目。
美貴さんがよそいやすいように、お鍋の持ち手を掴み、美貴さんの近くに寄せているのです!!
男らしさと優しさと心強さと。
色々な味がバラけるのかと思いきや、
旨味の一体感が生まれて、とんでもなく美味しいお鍋でした。
夜のきっかわさんは凛と静かに冷たい風が吹き抜け続けています。
ハイシーズンなので、発泡スチロールが積み重なっていてごめんね。と
お二人は言います。
本来ならば、鮭の加工品を作るための場所なので
もっともっと材料や道具類などで溢れかえるはずのこの場所。
今は一年中、お客様が見学出来るように、自由に撮影もしていただけるようにと一般開放の場所になっております。
美意識のお高いお二人としては、
多くの人が出入りするこの場所には、少しでも無機物がないように
常に綺麗に雰囲気も大切にお客様に見ていただきたいというお気持ちが
その一言から伝わってきました。
写真左から吉川美貴さん・酢飯屋 岡田大介・15代目 吉川真嗣(きっかわしんじ)さん・飯沼さん
きっかわ社長。
この日は早朝から夜遅くまで一日中ありがとうございました。
そして、美味しいご飯をご馳走さまでした。
鮭にまつわる色々なことを深くお伝えくださったことで
これまでのきっかわさんの良いイメージが
さらにさらに膨らみました。
僕もこの素晴らしいこだわりを伝える側に
勝手に加わらせていただきますね!
敷居の左側が旦那畳(主人や客人さま専用)
右側が野郎畳(家族でご飯を食べたり台所的な場所)
畳の質があきらかに分けらています。
旦那畳の炉の前でくつろぐ主の座る位置。
その頭の上を見ると、梁が無いように造られています。
日頃からたくさんの責任を背負った主が一服する時くらいは
重いものが上にないようにと村上大工の職人さんからの心遣いの設計になっていました。
ちなみに昔は村上の世帯数の1割は大工さんだったそうです。
吉永小百合さんがドンピシャに似合うきっかわさんの店先での1枚。
大人になったら、したいこと。
JR東日本【大人の休日倶楽部】会員募集中です。
やってみたかったやつ、できました。^^
要所要所におもてなしがゆき届いた店内。
自家製の糀と地下水、もち米だけで作られた甘酒が温められています。
鮭愛の結晶が、鮭の加工品として並んでいます。
鮭の飯寿司。
鮭の手ぬぐい3種。
ついつい、何枚も撮影してしまう鮭の写真。
元、造り酒屋さんですので、糀も造られています。
この糀の甘酒は美味しいのはもちろんですが、
僕がオススメしたいのは、
この聖なる空間で出来上がった糀菌を体内に取り入れることで
きっと良い気が巡り始めると思うからです。
気がつくとまた鮭を撮影してしまいます。。
昨日の夕食時に囲炉裏で焼いた熱々の鮭をかえしに漬け込んだ
『鮭の焼漬け』が食べたくて、本当にもう一度来てしまいました。
今日はお庭も見えるこちらの特別なお部屋に通していただきました。
このお部屋では主が各人にお茶を入れるのが村上の町家の流儀ということで
きっかわ社長自らが村上茶を淹れてくださいました。
お点前に見とれながらも、昨日気になっていた鮭に関する質問事項などをこのタイミングで聞かせていただきながらの一服となりました。
忙しい日常の中での、ちょっとのゆっくりとした時間。
その大切さを体で感じました。
僕は社長にお礼をしたくて、
お料理が大好きなきっかわ社長に
お寿司の握り方をお伝えすることにしました。
毎食、家族のために料理する社長のバリエーションに
本格的な握り寿司が加わるときっとご家族にも喜んでいただけると思ったからです。家族が喜ぶことは、社長も喜ぶことになると思うからです。
来世は料理人になりたいと公言するほどの料理好きの吉川社長。
さすがに習得が早く、器用でいらっしゃいます。
このハイシーズンのお忙しいこの時期に
1時間集中して、本当に楽しそうに、でも真剣に
吉川社長に握り方を伝授することができました。
きっかわさんの商品の一つでもある
鮭の生ハムを寿司ネタにして、あっという間に握ってしまったきっかわ社長。
奥様の美貴さんが加わると一気に引き締まります!
ちなみにこの日、社長は早速、魚を買い出しにいき
夕食はご家族に握り寿司を振る舞って喜ばれたそうです。
脱帽です。
『来世は料理人になりたい。』
そうつぶやくきっかわ社長。
でも今は3食、家族のご飯を作っているので楽しい。
しかも手抜きは一切しない家ごはんとのこと!!
外食して美味しい!と感じたら家ですぐにそれを再現するほどのお料理好き。
海外旅行に行った際、現地のお土産を買って帰ってくるのではなく、
そこの国で食べた料理を、日本に帰って再現してご馳走するのがお土産!!!
この言葉はズコーーン!と響きました。
もちろん鮭料理のスペシャリストでもあります。
日本料理だけでなく、
「鮭フレンチ~秋の宴~」(旧 村上洋風鮭料理の宴)なるものも開催されています!
鮭のクリームスープ
めふんと生クリームやめふんとオリーブオイル
めふんのバーニャカウダ
心臓と胃袋のびっくりコロッケ
スモークサーモンのムース
白子のムース
などなどなど。
いつか必ず!!
そして、念願の吉川さんでのお昼ご飯の時間です。
これが昨日焼いてからジュッとつけ汁に入れて一晩漬けた
『鮭の焼漬』ですか!
らいかでりしゃすです。
そしてたっぷりのハラコ。
もう、いつの間にかイクラって言わなくなってます。自分。
お赤飯も加わって、昨夜の贅沢な夕食を思い出します。
そして、これが村上の皆様が良く食べている郷土料理。
『なわた汁』です。
鮭の内臓とネギや大根などを入れたお味噌汁です。
若い鮭ではコクが出ないそうで、
なわた汁にするとそれが顕著に現れるそうです。
大変美味しゅうございました。
ご馳走さまでした。
追伸
吉川さんはおっしゃっていました。
歴史を生かして町おこしをしているところは成功する!
近代化よりも昔に戻すことが大事。
町家の外側だけでなく、中まで見せると本物が伝わる。
吉川さんの活動は商売だけではありません。
以下、多岐にわたる活動についてはまた次回ゆっくりとお伺いしたいと思います。
村上町家商人会 平成10年発足
町屋の外観再生プロジェクト
黒塀プロジェクト
十輪寺えんま堂の骨董市
宵の竹灯籠まつり
町屋の屏風まつり
町屋の人形さま巡り
町屋の公開