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衣毘須神社(えびすじんじゃ)

[海の生き物神社仏閣釣り・Fishing]

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【衣毘須神社(えびすじんじゃ)】
住所:島根県益田市小浜町630

【由緒】
小浜の砂浜から突き出た岩礁が宮ヶ島で、ここに小浜の氏神様である衣毘須神社(えびすじんじゃ)が鎮座されています。
主祭神は、豊漁と海の安全守護の神・事代主之命(通称えびす様)です。
その他、背後のJR山陰本線の南にあった祠(ほこら)の五穀豊穣の神の大歳大明神や
その他4社(和田津見神社、大己貴神社、綿津見神社、金刀比羅神社)が合祀(ごうし)、合殿(あいどの)されています。
合祀(ごうし)とは、幾つかの神・霊を合わせてまつること。
合殿(あいどの)とは、同じ社殿に2柱以上の神を合わせて祭ること。また、その社殿のことで、あいでんとも言われます。

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小浜衣毘須神社の始まりについて、小野村誌には次のように記述されています。
『1700年代初め頃、小浜は戸数数十戸のほとんどは農家で、田畑は狭く、年43石の年貢米に生活は困窮していました。
この年貢から逃れるため、住民の中には長崎の平戸に移住し、各種の漁法や製鋼技術を習得し、漁業を生業として生活している者もいましたが、小浜地域を管轄する庄屋や村人の説得により平戸から帰郷しました。1709年(宝永6年)日の出網と名付けた鰯網の漁法を使って漁業に活路を見出しました。この年、事代主之命を祀っている出雲の美保神社の分霊を請い、海龍山に小さな祠を建てた』・・・と。
1867年(慶応3年)に、海龍山から現在地の宮ヶ島に遷宮されました。
1893年(明治26年)に社殿が再建され、2011年(平成23年)7月に375年式年大祭を終えました。
宮司については、小野村誌に『小野神社神職これを兼務せり』とあり、
15代までを椿左京家系、16代から現代の23代までを中島家系が務めています。
祭事は、1月歳旦祭、3月祈年祭、7月例大祭、11月新嘗祭、12月除夜祭があります。

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皇居の壁画『朝明けの潮』と小浜海岸(皇居とつながる小浜の海)
由緒
1960年(昭和35年)秋、東山魁夷画伯は宮内庁から新築中の東宮御所の壁画の依頼を受け、
昭和41年より海の美を求めて日本各地の海岸を写生取材して歩きました。
山陰地方の海岸を二度にわたって取材されたようですが、二度とも小浜海岸を訪れたとのことです。
その時の感動を自身の著『唐招提寺への道』に、『日本海に沿っての旅もいよいよ西の果てに近づく。益田から西へ少し行くと山口県との県境に戸田小浜がある。このあたりの海岸を以前にも写生し、制作したことがある。荒磯に打つ波の泡の美しさを崖の上から飽かず眺めて『朝明けの潮』の波の表現のヒントを得たのも此処である。寄せる波、引く波の状態が今度の壁画にも参考になる』と記しています。
画伯は、1968年(昭和43年)皇居新宮殿壁画『朝明けの潮』を完成させ、その後1975年(昭和50年)唐招提寺御影堂の第1期障壁画『濤声(とうせい)』を完成させました。
それらの壁画はいずれも『海』を描いたものであり、波の表現のヒントを小浜海岸で得て、壁画を完成させたとのことです。

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