和多都美神社(わたづみじんじゃ)
[神社仏閣]
長崎県対馬市
【主祭神】 彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
【社格】 式内社(名神大)論社 旧村社
【創建】 不詳
【本殿の様式】 流造
【例祭】 旧暦8月1日
神代の昔、海神である豊玉彦尊が当地に宮殿を造り、
この和多都美神社が鎮まる地を「夫姫(おとひめ)」と名付けたそうです。
彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)と、
その妻であり豊玉彦尊の娘である豊玉姫命(とよたまひめのみこと)の
夫婦神が祀られています。
『延喜式』の「神名帳」 に對馬嶋上縣郡「和多都美神社 名神大」とあります。
貞観元年(859年)に清和天皇から従五位上の神階を賜っています。
『三代実録』によると
永徳元年(1381年)に従一位を叙せられ、名神大社の一つ に数えられています。
豊玉彦尊には一男二女の神があり、
男神は穂高見尊、二女神は 豊玉姫命・玉依姫命です。
ある時、彦火々出見尊(山幸彦)は失った釣り針を探して上国より下向し、
この宮に滞在すること3年、豊玉姫命を娶り妻としたと伝わっています。
釣り針を探してってところがいいですよね!
大潮の時期、満潮をむかえた境内では社殿の近くまで海水が到達することもあります。
その光景は龍宮を連想させ、豊玉姫命と彦火火出見尊の出会いに由来する「玉の井」や、
満珠瀬・干珠瀬、磯良恵比須の御神体石などもあります。
本殿の裏手の海宮山の原生林の中を少しく歩くと、磐座がみえてきます。
その手前の壇が豊玉姫命の墳墓(御陵)です。
ただ、豊玉姫命は"仁位の高山"に葬られたと社家には伝承されているので、
この磐座は恐らく古い斎場の跡であったものが、
戦後の混乱期に社家がいったん途絶した為、
「豊玉姫の墳墓」と言われるようになったと考えられています。
豊玉姫命を仁位の高山に葬った事については
『楽郊紀聞』に和多都美宮司(わたづみのみやじ)が語ったものが記録されています。
池の中の三柱鳥居(みはしらとりい)
拝殿横の三柱鳥居(みはしらとりい)
【和多都美神社(わたづみじんじゃ) 】
長崎県対馬市豊玉町仁位和宮55