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寿司職人目線で『豊洲市場』開場前の様子をレポートしてみました。

[うつわすし・sushi乾物岡田イズム海の生き物海藻淡水魚記録調味料青果]

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2018年10月11日 豊洲市場(とよすしじょう)開市目前
慌ただしくなる前の様子をじっくりと見学させていただきました。

築地市場から2.3km。
東京湾に突き出した形で位置するこの場所に移転する新しい市場。
寿司屋として最新情報を知っておきたいのと同時に、
各地の生産者さん方から良く聞かれるのが
この移転についての詳細でした。

築地市場の広さは23.1ha
豊洲市場はその約1.7倍の40.7haほどです。
東京ドーム8個分という広さです。
元東京ガスの土地だったこともあり
様々な問題が取り上げられていた豊洲の土壌問題ですが
ほぼ解決されていました。
遮水壁(しゃすいへき)で市場の敷地の地下を囲うことで
市場用地内からの地下水漏出と、外部からの地下水侵入を防止しています。
詳しくは東京都中央卸売市場ホームページに記載されています。
汚染土壌は掘削し、水は浄水、地下ピットの地下水管理システムをクリアしたら下水に流すようになっているそうです。
大型停電が起こった際は3日間分の電力の蓄えはあるとのことです。

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こちらが豊洲市場の全体図です。
左側下、セリなどが行われる水産卸売場棟
左側上、料理屋さんなどが仕入れに行く水産仲卸売場棟
右側下、青果棟は卸売場と仲卸売場が一体化しています。
地図上の黄色の線で見学者通路をわかりやすく示してあります。

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いくつもの黒いシャッターで閉ざされたこの場所は管理施設棟3F、
飲食店舗が立ち並ぶそうです。

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この棟の奥には『みんなの生活と東京いちば』と題した大きな掲示板。
生産物の流通について、ざっくりと描かれています。

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こちらは東京都 東村山浄水場の水『東京水』。

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市場にまつわる、流通や歴史についてを見ることが出来る
パネルが飾られています。

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【江戸時代 市場の始まり】
Edo era(1603-1867)- the origin of market in Tokyo

『市場』のはじまりは『市』と呼ばれる物々交換の場でした。
それを制度化したのが今日の『市場』です。
江戸幕府に納める魚の残りを漁師たちが日本橋んたもとで売り始めた魚河岸(魚市場)が東京の市場のはじまりとされています。
青果市場も同じ頃に自然発生し、江戸八辻ヶ原(現在の神田須田町あたり)から発展しました。

The origin of wholesale market dates back to the place for barter trade in Edo era. Fishermen had been ordered to deliver fishes to the Tokugawa Shogunate and allowed to sell the rest of the fishes to residents near the Nihombashi bridge ,which is said to have been the start of fish market in Tokyo. The fruits and vegetables market also appeared spontaneously around the same period.

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【明治・大正時代の市場】
Meiji・Tisho era(1868-1926)

明治維新の頃には民営の市場が庶民の食生活の安定に貢献していました。
しかし第一次世界大戦の拡大は物価を暴騰させ、大正7年に全国で米騒動が勃発しました。
政府は大正12年に卸売市場法を公布、生鮮食品の価格の適正化や需要の調整をはかりました。
その直後の関東大震災で、東京の民営20数市場は大きな被害を受けました。

Private markets had contributed to stabilize the food life of residents
around Meiji Restoration(roughly 1868-1889),however the intensity of World War 1(1914-1918) caused the sharp rise in prices and the rice riots occurred in 1918.
With these backgrounds the Wholesale Market Law was enacted in 1923 to improve the prices
of fresh foods through adjusting supply and demand.But the private markets were damaged seriously by the Great Kanto earthquake just after the enactment of the law.


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【昭和時代の市場】
Showa era(1926-1989)

震災後、東京市の復旧事業の一環として中央卸売市場の開設計画が決定し、
昭和10年には築地、神田、江東の3市場が、続いて豊島、足立、食肉などの市場が開設されました。
その後も高度経済成長期の人口増加や流通環境の変化に対応するために、
板橋、世田谷、北足立、多摩ニュータウン、葛西、大田の各市場が開設されました。

The plan for public wholesale market establishment was decided by Tokyo Metropolitan
Government as part of recovery project from the devastation by the big earthquake and 3 public wholesale markets including Tsukiji were opened in 1935,then 3 markets in succession to 1960s. After that,several markets has been established to deal with the sharp increase in population through the period of high economic growth in 1970s and changes in the environment associated with distribution.

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【現代の市場とこれからの市場】
For the future

昭和63年以降、北足立市場など5市場に『花き部』が開場しました。
東京都中央卸売市場は首都圏全体の食を守るために近代的な市場の整備を進めており、新たな基幹市場として
豊洲市場が開場しました。これからも豊富で新鮮な生鮮食料品の安定供給に努め、都民の期待に応える卸売市場を目指していきます。

Some of the wholesale markets in Tokyo have begun to handle flowers in succession,starting with Kita-Adachi wholesale market located in northern Tokyo since the last year of Showa era. Nowadays refurbishment of facilities and equipment in wholesale markets is under way to supply residents in Greater Tokyo area with fresh foods and flower securely.As the new center of fresh food distrbution relocating Tsukiji Market,Toyosu Market opened.

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【年次】         【市場の出来事/社会の出来事】
1603〜1614(慶長の頃)  江戸八辻ヶ原(神田須田町附近)に青果物が集まり市が立つ(現在の市場の原形となる)
1603(慶長8)       徳川家康、江戸開府
1644(正保の頃)      日本橋で幕府献上品の残りの魚を売る(魚市場の始まり)  
1657(明暦3) 江戸に明暦の大火
1665(寛文5頃) 京橋青物市場(通称『大根河岸』、築地市場青果部の前身)開業
1674(延宝2) 日本橋魚市場が幕府から許可される
1686(貞享3)       現在の秋葉原駅周辺に散在していた青果商が集まり営業(神田市場の前身)
1702(元禄15)      赤穂浪士の討入り
1776(安永5) アメリカ合衆国独立宣言
1853(嘉永6)       ペリー提督、浦賀に来航
1860(万延1)       桜田門外の変
1863(文久3)       ロンドンで地下鉄開業
1868(明治1)       明治維新、江戸が東京に
1877(明治10)      東京府、魚、鳥、青果市場及び問屋仲買営業例規を設け、市場開設を許可
1880(明治13)      日本橋浜町、深川、大森に魚市場の開設を許可
1894(明治27)      日清戦争
1896(明治29)      第1回オリンピック(アテネ)
1904(明治37)      日露戦争
1914(大正3)       第一次世界大戦勃発
1918(大正7)       米騒動発生
1923(大正12) 関東大震災発生
              中央卸売市場法公布
              日本橋魚市場が震災により壊滅(9月1日)
              芝浦で仮説魚市場開業(9月17日)
              芝浦から築地に臨時市設魚市場を移転開業(12月2日)
1927(昭和2)       金融大恐慌
              国内初の地下鉄開業(浅草〜上野)
1931(昭和6)       満州事変
1935(昭和10)      東京市中央卸売市場の本場として築地市場開場
              魚類部の一部(淡水魚)、青果部、鳥卵部が営業開始
              神田・江東青果市場が東京市中央卸売市場神田・江東分場として業務開始
1936(昭和11)      荏原分場 業務開始
              東京市設芝浦と場 業務開始
1937(昭和12) 2・26事件
              豊島分場 開場(現在の豊島市場)
1938(昭和13)      日中開戦
1939(昭和14)      国家総動員法公布
              淀橋分場 開場(現在の淀橋市場)
              第二次世界大戦開戦
              価格統制令公布
1941(昭和16)      仲買人制度廃止
              太平洋戦争開戦
1942(昭和17)      青果物、水産物の割当配給制度実施
1943(昭和18)      都制施行により、『東京都中央卸売市場』となる
1944(昭和19)      東京大空襲
1945(昭和20)      足立分場 開場(現在の足立市場)
              水産物・青果物の統制撤廃
              進駐軍による築地市場の接収開始(12月)
              広島、長崎に原子爆弾投下される
              太平洋戦争終戦
1946(昭和21)      日本国憲法公布
1948(昭和23)      仲買人制度復活(昭和25年6月まで、果実、そ菜、魚類の順に順次実施)
1951(昭和26)      日米安全保障条約締結
1952(昭和27)      進駐軍による築地市場の接収解除(昭和30年3月まで)
1953(昭和28)      国内初のスーパーマーケット開店
1954(昭和29)      原爆実験による放射能汚染マグロ入荷
1956(昭和31)      国際連合加盟
1959(昭和34)      市場の取引単位をメートル法に改める
1961(昭和36)      市場の日曜週休制実施
1962(昭和37)      東京都の人口が一千万人に
1963(昭和38)      首都高速道路1号線開通
1964(昭和39)      名神高速道路開通
              東海道新幹線開業
              第18回オリンピック東京で開催
1966(昭和41)      食肉市場開場
1967(昭和42)      日本の人口一億人に
1968(昭和43)      小笠原返還
1969(昭和44)  東名高速道路開通
1971(昭和46)      卸売市場法公布(4月)施行(7月)
              東京都中央卸売市場条例・同施行規則公布(12月)施行(翌1月)
1972(昭和47)      板橋市場(2月)世田谷市場(3月)開場
              沖縄返還、沖縄県発足
              中央高速道路開通
1973(昭和48)      第一次オイルショック
1977(昭和52)      日本200カイリ漁業専菅水域を決める
1978(昭和53)      新東京国際空港(成田空港)開港
1979(昭和54)      北足立市場 開場
              第二次オイルショック
1982(昭和57)      東京都中央卸売市場シンボルマーク制定
              東北、上越新幹線開業
1983(昭和58)      食肉分場 業務開始
              多摩ニュータウン市場 開場
              三宅島噴火
1984(昭和59)      葛西市場 開場
1985(昭和60)      プラザ合意(ドル高是正)
1986(昭和61)      築地市場の『現在地再整備』が決定
              東北高速自動車道路全面開通
1987(昭和62)      鉄道による輸送廃止
1988(昭和63)      北足立市場花き部 開業
              青函トンネル開業
1989(平成1)       大田市場青果部、水産部 開業
              消費税実施(3%課税)
1990(平成2)       大田市場花き部 開業
1993(平成5)       板橋市場花き部 開業
1995(平成7)       葛西市場花き部 開業
               阪神淡路大震災
1996(平成8)       築地市場における再整備計画の見直し
1997(平成9)       消費税率5%に改定
1998(平成10)       長野で冬季オリンピック開催
2001(平成13)       世田谷市場花き部 開業
               築地市場の豊洲移転を正式決定
               BSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)発生
               米国で同時多発テロ事件
2003(平成15)       『豊洲新市場基本構想-東京から拓く市場の新時代-』策定
2004(平成16)       『豊洲新市場基本計画』策定
               新潟中越大震災
2005(平成17)       『豊洲新市場実施計画のまとめ』策定
2007年(平成19)      『豊洲新市場予定地における土壌汚染対策に関する専門家会議』設置
2008年(平成20)      淀橋市場松原分場を廃止し、世田谷市場と統合
               『豊洲新市場予定地の土壌汚染対策工事に関する技術会議』設置
2011(平成23)       豊洲新市場の位置等が決定、告示
               東日本大震災発生
2012(平成24)       豊洲新市場の施設計画について市場業界と合意
2014(平成26)       豊洲新市場建設工事着手
  

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平成28年9月から豊洲市場地上部の空気中のベンゼン濃度を測定して安全な環境基準かを確かめているそうです。
今の所、市場界隈と変わらない結果になっているようです。

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水産卸売場棟 見学ギャラリー
Fish Wholesale Market Observation Gallery

いよいよ市場の中を見学に行きます。

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市場の前の道、まだ信号も可動しておりませんが
賑わうことを祈るばかりです。

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ゆりかもめ『市場前駅(しじょうまええき)』が最寄駅です。
そこから雨に濡れることなく歩いて2,3分で市場という立地です。

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問題視されていた地下ピットの状況は今の所問題なさそうです。

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一軒、シャッターが空いていたのでちらり。
お寿司屋さん。これからたくさんの人で賑わうのでしょうね。
Sushi is Greatful.

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改めまして、全体図。

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ここが東京都中央卸売市場
『豊洲市場』の正門です。

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まずは
水産卸売場棟(Facility Introduction-Fish Wholesale Market-から。
ここは国内外から水産物を集めて、せりなどの取引が行われる施設です。
All domestic and overseas fishery products are first carried into this building.
And wholesale of those has been done here,by auctin or trade between the persons concerned.

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いきなり登場するのがクロマグロの模型。
1986年4月 マグロ延縄漁船『幾伸丸』が鹿児島県種子島沖で漁獲、
宮崎県日南市油津漁港に水揚げされたのち、築地市場へ出荷された
築地市場時代に取引された最大級のサイズ。
The Bluefin Tuna Caught in Japanese Waters in 1986,One of the Lagest Traded in Tsukiji Market

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海外の方への対応もバッチリ。
ここだけでなく、あちらこちらに多言語で表記があります。
おもてなし精神JAPAN。

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世界から豊洲に届くマグロ
『Maguro』(Tuna)From All Over the World
私たちがマグロと呼ぶ魚には一般に5種類あり、
それぞれ生育場所がことなります。
最高級品とされるクロマグロは北半球、同じく高級品とされるミナミマグロは南半球に、
メバチマグロ、キハダマグロ、ビンナガマグロは広い範囲に生育しています。


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水産卸売場棟は5階建てになっていて
ーーーーーーーーーーー
5F 事務室
4F 転配送センター
3F 塩干卸売場・低温卸売場・加工パッケージ施設
2F うに卸売場・マグロセリ室・事務室
1F 低温卸売場、活魚売場
ーーーーーーーーーーー
となっています。


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【魚市場のはじまり】(The Origin of Fish Market in Tokyo)
江戸初期
1644年(正保1)年頃、江戸幕府に納める魚の残りを漁師たちが日本橋のたもとで売り始めた魚河岸が
東京の魚市場のはじまりとされています。

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【日本橋魚市場の発展】(Growth of the Fish Market along the Nihombashi River Bank)
江戸中後期
東海道など重要街道の起点である日本橋は、
江戸を代表する商業の中心となり、
魚河岸も江戸前や関東各地の河海から魚が集まる活況ぶりでした。

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【明治時代の日本橋魚市場】(Nihombashi Fish Market)
明治時代に入ると、日本橋は日本銀行や東京株式取引所などが設置され、
さらなる発展を続けて街の風景も変わりました。
しかし、魚市場は昔ながらのままだったと言われています。

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【関東大震災】(Great Kanto Earthquake)
1923(大正12)年9月1日、
東京がマグニチュード7.9の大地震に襲われました。
魚市場では手が付けられないほどの火災が起き、働く人々が
懸命に消化に努めたものの火は衰えず、多数の方が亡くなられました。

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【芝浦の仮設魚市場】(Temporary Fish Market at Shibaura Reclamation Site)
1923(大正12)年
関東大震災から16日後の9月17日、魚市場は芝浦日の出町の
埋め立て地に仮設魚市場として再開します。
1日に約1万人の入場者があったものの、
魚市場は狭く、永続的に営業するには厳しい場所でした。

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【東京市の臨時魚市場】(Temporary Fish Market Organized by Tokyo City)
1923(大正12)年
東京市は芝浦での営業の継続が困難であることから、
築地にあった海軍技術研究所用地に臨時魚市場を建設します。
臨時とはいえ面積は仮設魚市場の5倍で、市営の冷蔵庫もありました。
芝浦で営業していた人々は築地に移転し、1923(大正12)年12月2日、
営業を開始しました。

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【東京市中央卸売市場築地本場】(Tsukiji Main of the Tokyo City Central Wholesale Market)
1934(昭和9)年
震災後、東京市の帝都復旧事業のひとつとして
築地本場の建設工事が1928(昭和3)年に始まりました。
工事に携わった人は延べ約42万人、6年の歳月を要して
1934年に完成し、翌年から業務を開始しました。

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【東京市場駅の様子】(Tokyo Market Railway Station that once was in Tsukiji Market)
1935(昭和10)年
魚市場が日本橋にあった大正時代には
入荷の大半が貨車便となっていました。
築地の市場内には東京市場駅という
国鉄の貨物駅が設置され、荷下ろしの場所がセリ場となっていました。
鉄道を使った輸送は1950年代に最盛期を迎え、
年号が平成に変わる直前まで続きます。

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【市場から配給拠点へ】(Transformation of Market into Ration Center)
1940(昭和15)年
政府は、戦時体制に入っていくなかで、
生鮮食料品の価格を一定に決めるとともに、
配給割当制としました。
そのため、市場取引の中心であった『せり』が不要となり、
築地本場は生鮮食料品の取引の場から配給拠点へと変わりました。

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【終戦後の築地市場】(Tsukiji Market after the World War Ⅱ)
昭和20年代
終戦後の1945(昭和20)年12月から1955(昭和30)年まで
築地市場のほぼ4分の1が連合国軍総司令部(GHQ)に接収され、
軍の駐車場や洗濯工場として使われました。
この時期、市場内には洗濯物を積んだトラックが走っていました。

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【せりの復活】(Resumption of Auction)
昭和20年代
戦時中は一定に決められていた生鮮食料品の価格は、
終戦から数年を経て徐々に解除されました。
1950(昭和25)年には水産物の配給割当制度も撤廃され、
市場にはセリの声が戻りました。


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【築地から世界の海へ】(Beginning of Pelagic Tuna Fishery over the Seven Seas)
昭和20年代後半〜30年代前半
終戦後、日本の漁船の活動範囲はGHQにより制限されました。
1952(昭和27)年に撤廃後、せきを切ったように
遠洋でのマグロ漁が始まります。
日本近海や世界の海で漁をした船は築地に戻り、
獲ったマグロは岸壁に足の踏み場もないほどに水揚げされました。

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【高度経済成長と築地市場】(Impact of the High Economic Growth)
昭和30年代後半から40年代
築地市場が開場した1935(昭和10)年、
東京の人口は約640万人でしたが、
高度経済成長時の1962(昭和37)年に
1,000万人を超え、市場の取扱量も年々増加しました。
また、全国から届く品物はトラック輸送が主となり、
鉄道での物流を想定して作られた築地市場は
物と人と車で溢れかえりました。

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【鉄道輸送の終わり】(The Last day of the Rail Transport)
1987(昭和62)年
1966(昭和41)年、国鉄は急速に拡大するトラック輸送への対応策として
時速100kmで走る高速冷蔵貨車を開発し、
築地市場への鮮魚輸送に導入します。
しかし、トラック輸送は拡大を続け、1987(昭和62)年1月31日、
開場以来52年間続いてきた鉄道輸送は市場関係者の見送りとともに
姿を消しました。

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【築地から豊洲へ】(Traditional New Year Tuna Auction at Tsukiji Market)
築地市場の初市に行われるマグロのせりはお正月の風物詩のひとつでした。
豊洲市場水産物部は、日本橋にはじまり築地市場で築かれた歴史と伝統を継承・発展させていくことで、
市場の魅力=ブランド力を高めていくことを目指しています。


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これからはこの場所でマグロのセリが行われます。
床が緑色には理由があります。
マグロを目利きする際、尻尾部分を切り、
断面の赤み、脂のチェックなどをするわけですが、
床が緑だとその確認がしやすいことから市場関係者さんの意見を取り入れて
そうしたそうです。

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【手やりとは】(『Teyari』,Digits Gestures)
手やりとは、せりを行うときに買い手が購入したい品物の値段や数量を指で示すことです。
せりを行うせり人は、たくさんの買い手が示す指のサインを見定め、
一番高い値段を示した人を指名することで、品物を落札した人として決定します。
写真の絵は、東京都中央卸売市場で使われている水産と青果の手やりです。

At the auction,buyers use『Teyari』digits gestures,to indicate the auctioneer their respective bid and quantity of products they are going to purchase. Auctioneer quickly discerns the highest bidder among many finger figures,and informs who has won the product.
Here you can see the『Teyari』gestures used in Tokyo Metropolitan Central Wholesale Market for fish,fruit and vegetables auction.

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市場で働く人々の1日

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水産卸売場の紹介
種類ごとにわかりやすく場所がわかれています。

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見学デッキの場所も
10度ほどの室温になっていて
さらには完全ガラス張りにせず、
上の方を開けておくことで
市場の香りや声など
なるべくその空気感を感じれるような場所になっています。

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衛生的に、でも見やすく、日本の市場を感じていただけるように
和柄が随所にあります。

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こちらがイメージだそうです。


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鮮魚用フォークリフト

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しかし広い空間です。

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上に見えるガラス窓が並ぶ通路が見学者通路です。
今僕がいるこの寒い空間には一般の方は入れません。

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開場前は本当に綺麗な倉庫という感じ。
これからもいつまでも綺麗に保っていただきたいものですね。

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このシルバーのやつが業務用エアコンです。
市場全体が冷蔵庫のようです。
築地と比べたらあきらかに魚にとっては良い環境だと思います。

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ターレもとても軽やかにスイスイ走っていました。
築地は地面がガタガタでしたもんね。

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天井の照明は全て暖色系LEDになっています。

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100分の1の傾斜になっている排水。
うまく機能しますように。


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超近代的市場。

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ZOZO感(宇宙感)を感じます。

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この扉を開けると外。
ここから様々な水産物が市場の中に入ってくるわけです。

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あちこち最新の電子管理です。

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バースと呼ばれるこの場所に各地から様々なトラックがここに着き
水産物が市場内に納入されます。
高床式になっているのは水産物の特徴、青果側は高床式になっておりません。
地面と同じ高さで水産物を扱わないという衛生面からのこと。

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駐車場内への入場の車の指示管理などもあの電子掲示板でされるようです。

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築地がすぐそこという距離なのに空が広く感じる。
豊洲らしさを感じます。
ちなみに妻の地元は豊洲です。
豊洲駅が出来る前から豊洲に住んでいたそうです。

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デザインも洒落てます。

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モノレールが行き交うのもまた豊洲ならでは。
未来の市場にはピッタリの光景です。

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手前の看板は 112 111 110 となっているのに
奥は111 が抜けています。
縁起が悪い数字とかではないしなぜ??
どうやら、シャッターの数よりも駐車場の数が少なくなってしまったので
抜け番が発生してしまったそうです。
痛恨の凡ミス。。。。

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電気自動車対応も流石に整っていました。

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シンプルなトイレはとてもカッコよく見えました。

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大物、すなわち大きい魚(ほぼマグロ)が取り扱われる場所です。

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マンホールが遊び心に溢れているということで開場前に撮影しておきました。
水産と青果でマンホールのデザインも違うそうです。
魚河岸(事業排水)

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これは普通の排水溝。。

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目利きマンホール!!(生活排水)

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これは冷凍マグロを切るあの機械だ!
豊洲市場には、仲卸さんが自分たちのお店のスペースの関係で
マグロが解体出来ない場合など、こちらの共同スペースで解体してよいそうです。 喧嘩にならないかな。。。

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ターレが通ると自動で開閉するというエアーシャッター。
徹底した部屋の管理です。

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ここは製氷室??

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3つ目見つけました!
粋マンホール(厨房排水)
これでコンプリートです。

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この場所にどのように水産物が並ぶのか
今から楽しみです。

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ここに仲卸さんが軒を連ねる水産仲卸売場棟
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屋上 緑化広場
4階  積込場、物販店舗
3階  積込場、飲食店舗
1階  仲卸売場
_____________________________________

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わかりますかね?この仕切り。
間がガラスで床から天井までびっちりと仕切られているこの壁。
これがテレビやネットでも話題になっていた
作業スペースが狭くなってしまうであろう間仕切り。
壁にはもちろん意味があって、
衛生管理上の問題で食品の事故などが起きた際の原因究明のための
店舗の絞り込みをしやすくしたり責任問題を解決するためにあるそうですが
取り扱い水産物が同じような同業者同士で
事故が起きた場合も連帯責任という合意のもとであれば
この壁は取っても良いという例外特別措置がとれるようです。

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そして、新市場ならではだったのが
歩道が設けられていたこと。
築地市場の場合、特別に歩道などはなかったので
ターレとの衝突事故もそうですが、
忙しい早朝のターレの方々の邪魔になってしまっていた
買い出し人や観光客の方もこれで安全に市場に入れます。


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オープンが楽しみですね!

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歩道、こんな感じです。
ちょっと狭いかもね^^;。。

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築地と比べると市場感が全くないですが
それがこれからの市場の形なのでしょう。
時代とともに変化してきた市場の歴史を辿れば
このスタイルもまた市場の歴史の一つに過ぎません。

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水産仲卸売場棟の屋上が緑化広場になっているということで
こちらも見せていただきました。

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禁止事項がバッチリ書かれておりますのでルールを守りましょう。
お酒飲んだり、ご飯食べたりはNGってかいてあるので
アルコール以外の飲み物はOKってことですね。

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ま、まぶしい!!!

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おおおおおおおおおおお。
屋上緑地だー。
寝っ転がったり、飲み会したり、ドローン飛ばしたり、サッカーしたりしたいけど、そういうのは全部ダメですよー。

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向こうのほうでさらに建設ラッシュ。
2020年 東京オリンピックの選手村建設中でした。

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東京なんだけど、東京じゃないみたいな広くて贅沢な空間。
きっと夜景も綺麗でしょう。

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芝生以外で植わっていた植物は
『キンメツゲ』でした。

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川を渡った向こう側が東京オリンピックの選手村。

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お!伊藤ウロコさんだ!
ゴム長(長ぐつ)と言えば伊藤さん。
僕は各地どこの港、市場、冬の漁船などはいつもお世話になっております。
激オススメです。

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この魚がし横丁という場所に
場内、場外にあった小売店さんたちや飲食店さんが集まっているんですね。

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このあたりも賑わう場所の一つになりそうですね。

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もはやショッピングモールのようです。

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ターレが展示されていて記念撮影など出来るような場所もあります。

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築地時代の様子が描かれた壁面

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銚子のマグロだ!

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この棟にも水産物や仲卸売場についてなどが学べる見学者通路のようなものがあります。

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季節ごとの魚の紹介

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春、例えばアサリをめくると

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その食べ方が書かれていたり。
水族館みたいな演出ですね。

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水産仲卸売場棟 業務施設の紹介図
水産の仲卸店舗が集まる、豊洲市場で一番大きな建物です。
街の魚屋さんやお寿司屋さんなどが、水産物を仕入れに来る場所です。

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屋上以外でも緑地化が進んでいます。

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豊洲大橋を渡ると築地です。

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ゆりかもめ 市場前駅

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次は豊洲市場青果棟に行ってみたいと思います。

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3階建の建物はこんな感じ。

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2階が見学ギャラリーになっていて仲卸売場のすべての通路を上から見れる仕組みになっています。

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通路と一年12ヶ月それぞれの旬の野菜ごとに色分けして
かなりわかりやすくしてある通路。

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こんな未来的なヤッチャバがお目見え。
こんなの市場じゃねーよ!
まあ、そう言わずに
これが世界に誇る日本の最先端の市場だと。
これが現代から未来のヤッチャバの姿なのだと認めつつ
色々原点回帰させていきましょう。

魚市場同様、ヤッチャバも歴史を辿ってみましょう。
豊洲市場もまだまだヤッチャバ史の歴史の一部です。

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【青果市場のはじまり〜京橋大根河岸〜】(Kyobashi Daikon-Gashi,the Origin Vegetable Market in Tokyo
江戸時代
市場のはじまりは数名の商人が数寄屋橋(現在の千代田区有楽町付近)に作った青物市と言われています。
その後、水運の便が良い京橋川北岸へ移転し、この市場には大根の入荷が多かったため、
人々は大根河岸(だいこがし)と呼び、のちに京橋大根河岸市場と呼ばれました。

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【京橋青物市場】(Kyobashi Aomono Market,Expanded Vegetable Market with Wooden Shops and Houses)
江戸〜明治
明治時代になると、大根河岸は京橋青物市場と呼ばれ、
神田多町の青物市場(現在の大田市場のルーツ)に次ぐ大市場となります。
手前にかかる橋は京橋です。
奥にある道の両側に並ぶ問屋の建物は木造平屋建て又は2階建で、
店舗と住宅を兼ねていました。

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【関東大震災】(Great Kanto Earthquake,which Burned Down the Kyobashi Market Entirely)
1923(大正12)年
9月1日、東京市がマグニチュード7.9の大地震に襲われました。
京橋青物市場は地震により全焼するという被害に見舞われました。

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【震災からの復興】(Reconstruction from the Earthquake Disaster)
昭和初期
震災後、市場は問屋などの業者の努力により復興していきます。
新しくなった問屋ん建物は3階建て、
1階は取引の場、2階は遠方から荷物を運んできた出荷者の宿泊所、
3階は従業員の寝泊まりに使われていました。
写真中央のうず高く積み上げられているのは
初荷のみかん箱です。

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【築地への移転前夜】(Kyobashi Market to be soon Relocated to Tsukiji Area)
昭和初期
日本橋にあった魚市場は震災により築地へ移転しましたが、
青物市場は1935(昭和10)年まで京橋の地で営業を続けます。
写真は京橋川にかかる紺屋橋の上で野菜の取引が行われている様子です。
大正末期、1日約1,000人だった市場への買出人は、
この頃にはその倍になったという記録が残っています。

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【築地本場での業務開始】(The Beginning of Operation at Tsukiji Market)
1935(昭和10)年2月
東京市中央卸売市場築地本場が開場しました。
京橋青物市場は移転し、築地本場青果部として
業務を開始します。写真は青果部卸売場での取引の様子です。
卸売場には大量のみかんが並び、せりの熱気が伝わってきます。


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【終戦後の青果部】(Fruit and Vegetable Section after the World War Ⅱ)
昭和20年代
終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)により築地市場の約4分の1が接収されました。
売場は軍の洗濯工場として使われたため、やむなく水産物部の施設を間借りして
営業していました。写真中央には軍のものと思われるトラック、左上には
果実部と書かれた張り紙が見えます。

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【せりの復活】(Resumption of Auction,from Food Rationing Quota System Applied Wartime)
昭和20年代
戦時中、青果物は水産物と同じく政府により
価格を一定に決められ、配給割当制となったため、
せりが不要となります。
終戦後、それらの規制は水産物よりも早く撤廃され、
市場にはせりの風景が戻ってきました。

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【高度経済成長期の青果部】(Fruit and Vegetable Section during the High Economic Growth Period)
昭和40年代
高度経済成長による経済の発展とともに、
東京の人口は飛躍的に増加していきます。
その結果、築地市場での取扱量も年々増加し、
一層の賑わいを見せました。
写真は電光掲示板を使ったせりの様子です。

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【築地から豊洲へ】(『Treasury Ship』the Traditional New Year Opening Display at Tsukiji,Market)
青果部の初市と言えば宝船です。
たくさんの野菜や果物を干支や大入袋、小判などの縁起物とともに
賑やかに盛り付けます。
豊洲市場青果部は、京橋にはじまり築地市場で築かれた歴史と伝統を継承・発展させていくことで、
市場の魅力=ブランド力を高めていくことを目指しています。

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青果棟 業務施設の紹介
(Facility Introduction-Fruit and Vegetable Wholesale Market-)
野菜や果物などの青果物を扱う、卸売場と仲卸売場。
国内外の品物を集めて取引を行う卸売場と、
飲食店や街の八百屋さんなどが品物を仕入れに来る仲卸売場があります。

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柱にとまと・きゅうり・ピーマン売場
などこちらもわかりやすく表示されています。

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青果棟のマンホールも見てみましょう。
タケノコ??

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ぶどうマンホール。

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ほうれん草・かぶ・小松菜・ねぎ売場

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豊洲市場の青果部には
自動立体低温倉庫があります。
(Fixed Temperature Warehouse,with Automated Storage and Retrieval System)
自動立体低温倉庫は、野菜と果物の鮮度を維持して保管することができる巨大な冷蔵庫です。
青果棟の中央に設置され、限られた施設面積を有効活用することにも役立っています。
こちらです。

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青果棟内にある『Fresh Labo』では生産者さんがいらしたり
料理関係者が集まったり、素材をより知ったり、新しいものを生み出すような場になるようです。

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青果棟もすごい広さです。

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この場所に青果が立ち並ぶのが楽しみでなりません。

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搬入搬出口として使われるバースは、
水産物の高床式よりは審査があまく、地面と同じ高さになっているのが特徴です。

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これが1区画という感じですかね。
ここに1店舗。

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冷蔵庫が設置されている店舗もあればまだ空っぽの店舗も。

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ショーケース設置のお店も。

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ここの店舗はだいぶ作り込んであります。

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この設備はいつから導入して準備していたのでしょうか。

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これが日本の最先端。
未来のヤッチャバの姿です。
天井が高く、当たり前ですがとにかく綺麗です。
僕たち料理屋がTシャツ短パンで買い出しに行っていたような
あのイメージはなく、
銀座のデパートにお買い物にいくマダム達がぷらりといてもおかしくないようなそんな空間です。

と、長々と寿司職人目線で『豊洲市場』開場前の 様子をレポートしてみました。
賛否両論ありますが、
まずはご自身の目で確かめること。
ネットやメディアの情報に振り回されず
自分で体感しに行ってみてください。
現場に行きもしないで何やかんや言うのではなく
全ては自分でその場に行ってみること、聞いてみること。
平成も終わり、新しい時代に突入していくタイミングです。
これまで以上に柔軟に生き抜いていきましょう!

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帰りのモノレールがきました。

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モノレールで 市場前→新豊洲→豊洲
有楽町線に乗り換えて 豊洲→江戸川橋 酢飯屋
そもそも中央卸売市場にはあまり行かないタイプの自分ですが
雨に濡れずに仕入れに行ける時代が来ていること
素直に受け入れようと思います。

平成30年10月11日 豊洲市場開場
なるようになる。


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豊洲市場のその後

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