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倭姫宮(やまとひめのみや)

[神社仏閣]

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三重県伊勢市を通り
伊勢神宮の豊受大神宮(外宮)と皇大神宮(内宮)を結ぶ道路。
それが、『御幸道路(みゆきどうろ)』です。
国道23号および三重県道12号伊勢南勢線、
三重県道37号鳥羽松阪線の各一部であり、1910年(明治43年)に開通しました。
天皇の伊勢神宮参詣(行幸・御幸)時の参拝経路として利用されています。


別名は、御幸通り・お成り街道(御成街道)です。
全長はおよそ5.5km。
沿道には、御木本幸吉による寄付で整備された街路樹や、
篤志家によって献灯された石灯籠が並び、史跡も点在しています。
外宮前から伊勢商工会議所前までは官庁街、
外宮と内宮の中間に位置する倉田山付近は文教地区となっています。

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大鳥居をくぐると、

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いよいよ倭姫宮(やまとひめのみや)です。

【御祭神】 倭姫命(やまとひめのみこと)

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倭姫命は、第11代 垂仁(すいにん)天皇の皇女です。
第10代 崇神(すじん)天皇の皇女 豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)の後を継いで
『御杖代(みつえしろ)』として皇大御神に奉仕され、
皇大御神を戴いて大和国をお発ちになり、
伊賀、近江、美濃等の諸国を経て伊勢の国に入られて、
ご神慮によって現在の地に皇大神宮をご創建されました。

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『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』には、
皇女豊鍬入姫命、倭姫命のご巡行の記録があり、14ヶ所のゆかりの地があげられています。
倭姫命は皇大神宮ご鎮座ののち、
神嘗祭(かんなめさい)をはじめとする年中の祭りを定め、
神田並びに各種ご料品を奉る神領を選定し、
禰宜(ねぎ)、大物忌(おおものいみ)以下の奉仕者の職掌を定め、
斎戒(さいかい)や祓(はらえ)の法を示し、
神宮所属の宮社を定められるなど、神宮の祭祀と経営の基盤を確立されました。

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倭姫命から後、代々の天皇は未婚の皇女を伊勢に遣わして皇大御神に奉仕させられましたが、
このお方を斎王(さいおう)と申し上げます。
このように大きなご功績をお示しになられた命の御徳をお慕いして、
大正の初年から神宮司庁と宇治山田市(現在の伊勢市)が命をまつるお宮の創立を請願し、
大正10年1月4日、皇大神宮別宮として当宮のご創立が許可され、
同12年11月5日にご鎮座祭が執り行われました。

神宮には、別宮・摂社・末社・所管社の諸宮社があり、
ご由緒は古く、奈良時代以前に遡るものが多いのですが、
倭姫宮は、このようなご事情により創立が極めて新しいです。

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参道を歩いていた際、この緑力とした葉が頭の上に落ちてきました。
この葉はノートに挟み、この旅の終わりまでだけでなく
岡田家の神様にお持ち帰りさせていただきました。

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【倭姫宮(やまとひめのみや)】
御鎮座地(住所):三重県伊勢市楠部町5