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見附島(みつけじま)

[記録]

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石川県珠洲市(すずし)

附島(みつけじま)は標高29m、長径160m、短径50mの菱形をしています。
地質は能登半島北東域に散在する新第三紀中新世後期(約1,100万〜500万年前)の
珪藻土(飯塚珪藻泥岩層)の堆積構造を持ちます。


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長年の風化・侵食作用によって、この特異な形状になりました。
植生は、タブノキ、モチノキ、ヤブツバキなどの照葉樹が多く、
四季を通じて緑に覆われています。


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昭和30年代までは東側壁から登ることができて、
頂上に見附神社の祠(ほこら)があったそうです。

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名称の由来は、加志波良比古神(かしはらひこのかみ)あるいは弘法大師(空海)が
海を渡って来た際に、見この島を見つけて上陸したため見附島(みつけじま)と呼ぶようになったという伝承があります。
見つけたから、みつけじま。
オヤジギャグかいッ!!
と思う反面、
名前の付け方はそれくらいシンプルでいいのかもしれない。

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形状が軍艦に似ていることから『軍艦島』とも言われ、
また月の名所でも知られており、『見月島』と記す文献もあります。
見附島は、奥能登沿岸の地形形成過程や植生を知るうえで重要な学術的資料であり、
石川県の代表的な景勝地です。

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ちなみに所有者は住吉神社(宝立町鵜飼)さんです。


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【見附島と空海】
弘法大師空海が唐の國に渡り恵果阿闍梨(けいかあじゃり)のもとで修行され
三國伝来の伝承者と認められ金胎両部(こんたいりょうぶ)の灌頂(かんじょう)をうけ
密教伝来の三杵(さんしょ)を授けられた。
唐の僧達はその三杵を奪い返さんと日本に帰ろうとする空海を海岸まで追いつめて来た。
その時空海は東方を望まれ『密教有縁の所に行きて我を待つべし』と三杵を大空高く投げられた。
帰國された空海は三杵を求めて海路佐渡より能登沖を通られた時波の音とともに法華経を誦する声が
聞こえてきたので島を頼りに着岸された。
そこで村人達の案内により山の桜の樹に探し求めていた三杵の一つ五鈷杵(ごこしょ)が光り輝き
白夜法華経を唱えていた。
空海は深くお喜びになりここに一字を創建され吼木山(ほえぎざん)法住寺と名付けられた。
そして三鈷杵(さんこしょ)は高野山の松の樹に独鈷杵(とっこしょ)は
佐渡の小比叡山の柳の樹に掛かっていた。
それより島を見附島と呼び縁結びの神を祀り海難の守り神と共に小社を安置し4月18日を祭日とし
舟を繰り出し島上に登り祝詞を奉じて来た。
しかし今は歳月による風化に加え能登沖地震や台風の被害により島に往時を偲ぶ雄姿はなく
島上の見附の社も崩壊したまま今日に至っています。