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明石海峡大橋(あかしかいきょうおおはし)

[記録]

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明石海峡大橋は、
兵庫県神戸市垂水区東舞子町と
淡路市岩屋とを結ぶ明石海峡を横断して架けられた世界最長の吊り橋です。
全長3,911m、中央支間1,991mです。
本州と四国を結ぶ3本の本州四国連絡橋(本四架橋)ルートの一つ
「神戸淡路鳴門自動車道」の一部として供用されています。

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1998年(平成10年)4月5日に供用が開始されました。
1998年(平成10年)の開業以来、「ギネス世界記録」に認定・掲載されています。
建設費は約5,000億円。
建設当初は全長3,910 m、中央支間1,990mでしたが、
1995年(平成7年)の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)による地盤のずれが発生し、
図らずも全長が1 m伸張することとなりました。

明石海峡大橋開通で、
本州・淡路または本州・四国間が陸続きになったことで、様々な利点が生じました。
たとえば、朝に採れた徳島県産の農水産物を安定的に関西方面へ出荷できるようになりました。
特に、徳島県の地鶏である阿波尾鶏(あわおどり)の出荷量は、開通以前よりも倍増したという例があります。
徳島県を始め、四国産の農水産物は関西の市場で大きなシェアを占めるようになりました。
ライフラインの面では、
明石海峡大橋の桁の内部には大口径の水道管、高圧送電線、大容量の通信用ケーブルなどが収納されています。
これまで、淡路島は慢性的な水不足に悩まされていましたが、
水道管が設けられ水の安定供給が実現しました。

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省略して明石大橋(あかしおおはし)と呼ばれることもあり、
高速道路上の案内標識等でも同略称が使われていることがありますが、
明石大橋は明石市の明石川を国道2号が渡る橋として明石海峡大橋よりも先に存在しています。

淡路島内のみならず、本州と四国を結ぶ3本の本州四国連絡橋(本四架橋)ルートの一つ「神戸淡路鳴門自動車道」として供用されており、交通量も本四架橋の橋の中では最も多く、四国と近畿、更には本州の各大都市間を結ぶ交通の要になっている。

2014年(平成26年)4月から「新たな高速道路料金」が導入されたことにより本四道路は全国路線網に編入され、垂水IC-淡路IC間の普通車の通行料金はETC車900円、現金車2,370円となった[12][13]。

設計速度は100 km/hだが、通常時の最高速度は80 km/h、最低速度は50 km/hに規制されている。

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構造形式 : 3径間2ヒンジ補剛トラス吊橋
着工: 1988年(昭和63年)5月
閉合: 1996年(平成8年)9月
供用: 1998年(平成10年)4月5日
主塔高: 298.3 m(海面上)
中央径間: 1,991 m(世界最長)
全長: 3,911 m
床板: 鋼床板・中央分離帯部分はグレーチング床板

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主塔(神戸側"2P"、淡路島側"3P")の基礎は
海面下50m以上の大水深であることから、
瀬戸大橋架設の際技術開発した設置ケーソン基礎工法とし、
潮流が速いことから、形状は円形とされています。
2Pの建設位置は岩盤が水面下90m以上の位置にしかないため、
その上にある砂礫層の明石層上に基礎を置いています。
基礎周りの洗堀対策として、
基礎周囲に約1トン分の小石をネット製の袋に詰めた『フィルターユニット』と呼ばれるものと、
1トン以上の石を10mの厚さで敷き詰めてあります。
アンカレイジ(神戸側"1A"、淡路島側"4A")の基礎は、
1Aが直径85m・深さ63.5mの地下連続壁工、4Aが直接基礎です。
当初の道路・鉄道併用橋の計画では、
アンカレイジを海中に置かなければならなかったため神戸側の地盤条件の悪さが問題でした。

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橋を吊るワイヤーを支える主塔は2基で、
高さは海面上298.3 mあり、
日本では東京スカイツリー(634.0 m)、東京タワー(332.6 m)、あべのハルカス(300.0 m)に次ぎ、
横浜ランドマークタワー(296.3 m、海抜は300 mで同じ高さとなる)を
超える高さの構造物です。
主塔が高いため、地球の丸みの影響を受けて2基の主塔の先端間の距離はわずかに開いており、
中央支間長(1,991m)よりも更に93ミリメートル長くなっています。

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吊り橋の命であるメインケーブルは
片側1本で計2本、1本につき290本のストランド(正6角形に束ねられたワイヤー)で構成されています。
そのストランドは、127本のワイヤー(高強度亜鉛めっき鋼製)で構成され、
ケーブル1本の合計で36,830本のワイヤーを使用していることになります。
この橋のために、直径5.23mmで引張り強度は1mmあたり180 kgのワイヤーが新たに開発されました。
1本のケーブルの直径は112.2cmになり、約6万トンの荷重を支えます。
風雨から保護し、腐食(錆び)を防止するため、
表面をゴムで覆い、さらに内部に脱塩、乾燥した空気を常時送風しています。
ケーブル架設の第一歩であるパイロットロープ(ポリアラミド繊維製)の渡海には、
世界で初めてヘリコプター(東邦航空)が使用されました。
メインケーブルを構成するワイヤー1本1本をつなぎ合わせた時の合計距離は
約30万km(地球を7周半に相当)にも及びます。

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架橋の構想は、第二次世界大戦前からありましたが、
技術的な問題および軍事上の理由(大型軍艦が明石海峡を航行できなくなるため)から
具体化には至らなかったそうです。

1970年(昭和45年)に
本州四国連絡橋公団が設立され、本州と四国をつなぐ本州四国連絡橋のひとつとして、
神戸・鳴門ルートの明石海峡に約5000億円(当時)の建設費を投じて
1998年(平成10年)に完成しました。
当初、中央径間長1,780 mの道路・鉄道併用橋とする計画でしたが、
建設費用や地盤条件などの問題から
1985年(昭和60年)8月27日に道路単独橋とする方針に変更され、
基礎の位置および上部構造の見直しが行われ、
全長3,910 m、中央支間長1,990 mとキリの良い数字の長さの吊り橋として計画されました。
ところが、工事期間中のケーブルを敷設した時点でもあった1995年(平成7年)1月17日に
兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生し、
地殻変動によって地盤が1 mずれたことにより、橋の全長が自然に1m伸びてしまいました。
建設中の地震発生にも耐え、幸いにも工事継続に何も問題はなかったため、
そのまま橋の工事は進められ、当初計画よりも1 m長い橋が完成しています。
着工から竣工に至るまでの施工における事故死者は0人です。

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ちなみに、『パールブリッジ』という愛称もあります。
明石海峡大橋のケーブルには、光の三原色のイルミネーションランプが
1084組取り付けられており、季節や日時に応じて彩りを変えています。
ライトアップは平日が日没から23時まで、
土・日・祝日が日没から24時までです。
橋が日本標準時子午線近くにあることから、
毎正時と毎半時にも各5分間、時報パターンの点灯を行っています。

平日:春季は緑、夏季は青、秋季は赤、冬季は黄。
休日:緑と青。
時報パターン(正時):虹色。
時報パターン(毎30分):誕生石をイメージした色。
地元や国民的行事のイベントに合わせた色でライトアップされることもあります。
2002年(平成14年) FIFAワールドカップ開催を記念して青色(日本代表チーム勝利時には上部赤色、下部白色)。
2003年(平成15年) 阪神タイガースのリーグ優勝を記念して縞模様。
また、2005年(平成17年)のリーグ優勝では、縞模様に加えて毎30分に上部赤色、下部白色のパターン。
阪神・淡路大震災発生日の1月17日は、鎮魂の願いを込めた白一色となります(時報はなし)。

神戸側の橋桁内に
『舞子海上プロムナード』という遊歩道、展望台が設けられています。
橋台(アンカーレイジ)内のエレベータで上り、海面からの高さ47mへ上がり、
そこから海側約150mまで行くことができます。
途中、床が透明になっている部分もあり、直接海面を望めます。ガクブルです。
同じく神戸側の陸上に橋の科学館が開設されており、
明石海峡大橋を中心に橋についての技術的、歴史的展示を行なっています。
頭上には風洞実験に用いた1/100サイズの模型も展示されています。
また、お土産としてケーブルの素線の実物サンプルが販売されています。
一般では通常入れない管理通路や主塔の頂上に登る、
『ブリッジワールド』というマニアック行事も
予約制(期間・人数限定)で行なわれています。