新潟県 村上市(Murakami City, Niigata Prefecture)
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新潟県村上市は、新潟県で一番北に位置しています。
山形県鶴岡市との県境です。
新潟県で一番広い面積をもちます。
20代の頃に鮭の遡上を見にきて、感動したこの場所に、
10数年ぶりにやってきました。
自分が村上で出会ったもの(サケ関連を中心に)を少しずつご紹介させていただきます。
詳しくは、それぞれのリンク先に飛べるようにしてあります。
ちなみに、冬の日本海に来て
気を引き締められなかったことはないです。
三面川の源流は、朝日連峰です。
その流れは越護平野の北端村上市を経て、日本海に注いでいます。
全長50kmほど。
山麓には広大なブナの原生林があります。
秋に葉が黄色く染まり、冬が近づくと森は一面落ち葉の絨毯に、
それがやがて腐葉土になり、良質な土壌が形成されて
栄養たっぷりの水が川に流れて魚介類の餌となるプランクトンを育てていきます。
産卵のために母川回帰(ぼせんかいき)する鮭にとっても最高の環境となります。
中流域の川原や中洲にはネコヤナギやグミなどが自生していて、
その緑は土砂の流失を防ぎ鮭が遡上する清流を保ちます。
ブナの原生林に始まる三面川の清流は、さらに高根川や長津川などの支流を合して日本海へと注がれていきます。
日本海側の多くの河川が川底を泥で覆われているのに比べ、三面川は河口まで砂礫の形状で
それが鮭などの魚の産卵に適した環境となり、三面川に多くの魚を呼ぶのだと思います。
三面川の河口は、天然のタブノキが繁茂していて、林が河口を包み込むように突き出ています。
林は栄養分に富んだ水を供給して、川面に落とす木や山の影は魚のすみやすい環境を作り出しています。
三面川がサケの豊かな川になりえたのは、このタブノキ林も重要なはたらきをしているのだと思います。
江戸時代、村上藩は『お留め山』と称して、この森への入山を禁止して、
現在も魚付き保安林として指定され保護されています。
【鮭(サケ)のオス】ヌード写真集 公開。
男性諸君、お待たせしました。
【鮭(サケ)のメス】ヌード写真集 いよいよ公開です。
三面川のサケ漁が組織的に行われるようになったのは江戸時代からのことで、
未表本流を3つに分け、自然環境と同じ条件の2分流を『種川』とし、
寛政6年(1794年)世界に先駆けたサケの自然増殖事業を成功させました。
種川(たねかわ)は江戸時代に31年かけて作られた人工河川で
鮭の産卵ふ化を容易にする保護河川のこと。
カナダで行われている孵化事業の140年も前に、村上で生まれた画期的な増殖技術です。
この成功により村上市は栄え、文化を築いてきました。
明治以降には、そのサケの恵みで私学校が設立されたほか、育英制度が設けられていました。
これらによって学び、世に出た人たちは『サケの子』と呼ばれ、
サケを核とした文化を三面川流域の地域住民の方々は
育んできた歴史があります。
これからの河川整備は、水害を防いで、安心して住むことのできる川づくりを踏まえ、
自然環境の保全と再生をめざした自然にやさしい『川づくり』を行い、
三面川に生息している生物の良好な生育環境に配慮し、あわせて美しい自然景観を創出してきたようです。
サケは卵を産む時期が近づくと、どうやって広い海の中で自分の生まれた川を探して戻ってくることができるのか?
まだ詳しいことはわかっていないようですが、
サケの体の中に、太陽の位置をはかる仕組みがあって、
それによって自分の位置を知りながら、目的の場所にたどりつくことができるという考え方があります。
生まれた川のにおいを覚えているという説は間違っていたことが判明したそうです。
その他の考え方に
・地球の磁気を感じとり、帰ってくる。
・稚魚と親魚の通り道が同じなので、一度通った道を覚えている。
・海流にのって泳ぐ習性から帰ってくる。
・サケに合った海水温度・海水の塩分濃度を探しながら泳いで来ると生まれた川にだどりつく。
サケの稚魚は、身を守るためのパーマークと呼ばれる大きな斑紋をもっています。
海へ下る頃になると、パーマークが消え、体の側面が銀色に変わって、外洋回遊型の体色に変化します。
海と川で暮らせるサケの凄さ
私たちは、お風呂に長く入ると、指先がシワシワになります。
水が皮膚を通って、体の中に入ってきたからです。
ナメクジに塩をかけると体の表面から体の中の水が出てきて、ナメクジは縮んでしまいます。
これらは、自分の体の中の塩分の濃さと、周りの濃さの違いによって水が出入りするためで、
これを浸透圧(しんとうあつ)といいますが、
サケは、この浸透圧を調整できる能力をもっています。
なので、塩分の濃い海と、塩分の少ない川の両方で生活することができます。
鮭の歴史、生態、観察といえばこちら【イヨボヤ会館・Salmon Museum】。
日本最初の鮭の博物館です。
【サケの部位と料理】
〈頭を使った料理〉
ほっぺたみそ
スッポン煮
氷頭南蛮
氷頭なます
氷頭せんべい
氷頭のみそ漬け
氷頭の麹漬け
氷頭たたき
〈身を使った料理〉
刺し身
角煮
小煮物
がじ煮
卵皮煮
塩焼き
照り焼き
焼き漬け
塩ころがし
川煮
粕漬け
飯寿司
酒びたし
塩引き鮭
鮭のしんじょ
酒蒸し
あんかけ
みそ漬け
茶碗蒸し
〈皮を使った料理〉
皮のおつまみ
〈中骨を使った料理〉
どんがらの甘露煮
大根煮
昆布巻き
鮭みそ
〈えらを使った料理〉
カゲなます
カゲたたき
〈内臓を使った料理〉
なわた汁
背ワタの塩辛
〈心臓を使った料理〉
どんびこ煮
どんびこの塩焼き
〈はらこを使った料理〉
はらこの味噌漬け
しょうゆはらこ
イクラ
はらこの粕漬け
〈白子を使った料理〉
白子煮
からすみ
白子の刺し身
【袴着(はかまぎ)】
子どもの健やかな成長を願う行事として七五三がありますが、
これに相当する行事として、村上には『袴着(はかまぎ)』と呼ばれる儀式があります。
男の子が5歳になると羽織袴(はおりはかま)の正装を着衣する儀式です。
七五三と同様に、両親に伴われて鎮守の神様に参詣して、
これまでの感謝と同時にこれからの健やかな成長を祈願します。
この儀式の後の祝宴のお膳を飾るのがサケです。
タイがおめでたい魚でも、ブリが出世魚であっても、
村上での袴着は三面川でとれたサケでなければなりません。
袴着を控えている家庭では、
どんなに高値であっても、三面川に戻る立派なサケを求めて手配を怠りません。
そこには、サケの稚魚は三面川で生まれ、はるばる北太平洋を回遊して
数万キロの旅を終え、母なるふるさとの川に回帰するサケの逞しさにあやかり
『わが子も健やかに成長し、世間の荒波に負けることなく逞しく人生を乗り切ってほしい』
という村上人としての親の願いが込められています。
新潟県村上市 路上の排水溝の蓋も鮭でっす!
【サケのてぬぐい】(綿100%)
町屋の格子をバックに塩引き鮭が『あいの風』をうけている風景です。
三面川の伝統の鮭漁である『居繰り網(いぐりあみ)』漁の様子も合わせて染めてあります。
浴衣などと同じ『本染め』と呼ばれる伝統技法です。
制作:角長呉服店
電話:0254-53-3805
【鮭恵比寿(さけえびす)】
エビス神は七福神の一人で、漁村では漁の神さま、町家では商売の神さま、
農村では田の神さまとして信仰されてきました。
その姿は、指貫(さしぬき)をはき、風折烏帽子をつけ、
右手に釣り竿を持ち左手に大きなタイを抱えています。
しかし、この絵のエビス様は、服装は同じですが、
釣竿はどこかに置き去りに、鮭が山盛りになった漁箱を両手に持ち、
さも忙しそうに立ち働いています。
漁箱に文政三年の年号と文面、願主の名があることから、
豊漁祈願の成就したお礼に、新潟村上の羽黒神社に奉納されたものとみられます。
それにしても、エビスのシンボルとも言えるタイをサケに置き換えてしまっている風変わりエビス様は、
サケこそ『魚のなかの魚』と断言してはばからない村上人の熱い思い入れを如実に示しているようです。
【サケリン】
村上市の名産『鮭(さけ)』と『地酒(じざけ)』と『人情(なさけ)』
のサケから愛称的に命名されたそうです。
ちなみにプロフィールもあります。
誕生日:11月11日(サケの日)
年齢:永遠の20歳(おさけはハタチから!)
好きな場所:おしろやまのてっぺん
好きな飲み物:〆張鶴と大洋盛(お酒)
好きなおつまみ:鮭の酒びたし
趣味:ゴルフとスキー
口癖:だぁまたせ〜
自慢できること:村上茶ムリエの資格がある
秋、車で走っていると
日中は、田んぼの中にエサをついばむハクチョウの姿が見られました。
籾殻を食べているようです。
【はくちょう・ハクチョウ・白鳥・swan】
村上市 山北(さんぽく)地区で盛んな林業と農業の融合で生まれた
伝統の焼畑農法(やきはたのうほう)による【山焼きの赤かぶ】
築150年の古民家で地元食材にこだわった郷土料理が味わえるお食事処です。
地元のお野菜をふんだんに使って、お母さん方のお料理が
凄いボリュームで出てきます。この写真以外にもどんどん出てきます。
味付けもどれも好みで美味しかったです。
ご馳走さまでした。ご予約がオススメです。
【農家レストラン『こころまい』】
そのすぐ近く、
【吉祥清水(きちじょうしみず)】は大正13年に、大毎集落の住民有志38名が
吉祥岳の麓に湧き出る清水を飲料水として集落内に引き込んだことに始まり、現在まで継続して維持管理を行い、90世帯の家庭に引き込まれ日常生活用水として大切に飲まれています。
平成5年には多くの方に利用していただけるよう
清水の水飲み場を整備し、現在では新潟市近郊などから年間約1万人がおいしい清水を求め訪れているそうです。
平成19年には「新潟県の輝く名水」に認定され、
更には平成20年に環境省が水環境の一層の推進を図ることを目的に募集した
「平成の名水百選」に認定。
こららの快挙は、地域の皆さんが「地域の宝」として
長年守り育み続けてきたことが評価されたものであり、
清水の里に生きる住民の方々の自信と誇りに繋がっているそうです。
鶏の持つ本来の力を引き出すためには、どうすればいいのか?
それを取り組みの基本にされているのが【オークリッチ】さん。
放し飼い、遺伝子組み換えでない(NON-GMO)もので、収穫後の農薬は不使用のもの(PHF)穀物飼料を使う、乳酸菌を主成分とした米糠発酵飼料と山野草、米、牡蠣殻、海藻粉末、各種酵母などを独自配合したエサを積極的に給餌すること、水と空気と土と光を十分に。など
そのこだわった取り組みが飼育方法からうかがえます。
日々の飼育データ管理t第三者により定期的な衛星管理も実施されています。
鶏舎の目の前が日本海。
卵の種類は、鶏種、餌の配合、飼育環境で違い、
独自ブランドの『素王卵(そおうらん)』・『渚おうはん』・『野芳卵(やほうらん)』の3種類を有精卵はあえて回避して創作されています。
季節によっては厳しい環境下で
ボリスブラウンや横斑(おうはん)プリマスロックが元気いっぱいに過ごしていました。
近所の農家さんからいただく季節野菜の端材やヌカを発酵させて餌にしたり、
大工さんにいただく木材が敷材になったり。
ブロイラーと比較すると、食べる量が多い放し飼いの鶏、
日本で0.8%しか行われていないという鶏の放し飼いを
鳥の腸内環境のことまで考えて
笑顔で楽しそうにされているのがとても印象的でした。
腸内環境が良いと糞も臭くならないということは
鶏舎を訪れればすぐにわかります。
全く家畜臭のない農場で産卵された卵は、水と油の親和性に優れていて
卵独特の臭みがなく、卵黄はコクがあり卵白が甘いです。
気になった方、
オークリッチさんの卵はインターネットからもご注文いただけます。
https://www.tamagotofo.com
山からの雪解け水が注いだ先は日本海、その目の前で塩づくりをされているのが 越後村上 手づくり塩工房【ミネラル工房】さん。
磯浜の海水をポンプで汲み上げて濃縮釜へ。
薪を焚き上げる熱で、約8倍まで海水を濃縮して、濃い塩水にします。
それを一晩寝かせて、石灰分などの余分な不純物を沈殿させ取り除き、
綺麗な上澄み(母液-ぼえき-)だけを結晶化に使っています。
この母液に、仕上げの平釜で『工房独自の秘密工程』が加えられます。
そして、時間をかけて水面でじっくりと結晶化させる事で
口どけの良い柔らかな粗塩に仕上がるそうです。
代表の富樫秀一さん
ご自身の過酷だった過去、ボロボロになってしまった体を
この塩で乗り越えた人生お話をしてくださいました。
海水を濃縮していく工程でプランクトンが硫酸石灰の結晶として析出してきます。食べても無害とは言われていますが、
体に吸収され無い余分なものが、雑味として不純物になるならば
しっかり取り除く。ここを大切にされてるのが『ミネラル工房』さんです。
新潟県村上の食材を使った日本料理をご提供されている料亭さんの一つ
【能登新(のとしん)】さん。
木桶で仕込んだお醤油。
それがどれだけ貴重なことかと数値でお伝えしますと。
日本お醤油の出荷量全体の1%ほど。
木桶に住み着いた菌で蔵ごとの特徴が楽しめるということも
現在では少なくなってきているということです。
【野澤食品工業】
創業明治元年
越後村上 北限のお茶を生産、製造、加工、販売まで全て手がけているお茶屋さんです。
そういえば、雪をかぶっている茶畑は見たことがないかもしれません。
この地域の厳しい冬の寒さを力強く乗り越えて、
春の訪れとともにできあがるお茶です。
【北限のお茶 冨士美園(ふじみえん)】
【次回、僕が個人的に村上に学びに行きたい場所・事柄】
・鮭魂祭
・藤基神社
・羽黒神社
・村上藩の屋敷
・鮭の塩引き街道